隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

法律は誰のためのもの?

BBSを開設して1日ですが、早速の投稿がありました。うれしいことです。

しかし、その内容は私にとってあまり愉快なものではありませんでした。

私はNHK受信料のことについていろいろと書いていますが、法律をもっと勉強してからでないと、法律を語ってはいけないというのです。

この言葉に、私は非常に憤りを感じました。

ただ、私はたとえ自分に不愉快なものであっても、なにかしら意味があるものと思って考えます。私はホームページに「不適切な投稿」は削除すると書きましたが、私が「不愉快な投稿」を削除するとは書いておりませんので、この投稿はそのままにしておきます。

それよりも、私はなぜ自分がこんなに不愉快に感じたのか、その理由を考察してみました。
投稿は、法律の基礎をもう少し学ばれてから法律を語ったほうがいいと思いますよというものでした。

この内容には、疑問点があります。

第一に、BBSに私の返答としても書きましたが、法律の基礎とは一体なんなのかが不明確であること。
第二に、法律の基礎なるものが仮にあるとして、本当にそれを学んだ人にしか法律を語る資格がないのか、ということ。

第一の疑問については、法律の基礎なるものが一体なんなのか、そんなものがあるなら勉強したいと思いますので、ぜひとも教えてくださいますよう、通りすがりの者さんにお願いしておきます。ハンドルネームどおり通りすがりの方なら、もう2度とこられることはないとは思いますが・・・。

もっとも根本的なのは、第二の疑問です。私はこのことについてよく考えた結果、絶対にそんなことはないという結論に達しました。

たとえば、警察官は取り締まりのとき、道路交通法について語ってはいけないのでしょうか?

もっと身近な例として、「18歳同士で結婚できますか」と私が聞かれたとしたら、「民法に男18歳以上、女16歳以上なら結婚してもいいとありますから、OKです。ただし、どちらかの親の了承が要ります」と回答するでしょうが、私は司法試験に合格していないから、答えられないというべきなのでしょうか。
八百屋での買い物も、商法を知らないので商取引が出来ません、ということになるのでしょうか。

ここまで考えて、はっきりとわかりました。通りすがりの者さんは大きな勘違いをしているのです。

ここで初めてタイトルに戻るのですが、法律は誰のためのものなのでしょうか。

法律は、誰のためのものでもない、国民すべてのものなのです。

司法試験合格者しか法律を語ってはいけないのであれば、一般国民には法律は適用されないようにすべきです。法律は、有無を言わさず一般国民すべてに適用されるものです。法律の基礎を勉強しなければ、法律を語っちゃいけないなんて、のんきなことは行っていられないのです。

本当は、法律なんか意識しないですむのが一番です。ですが、実際には法律を知っていたほうが有利なことが多々あります。確定申告で税金の還付を受けたりするのが良い例ですが、この世の中は法律を知らないものは損するように出来ているのです。

ですから、私のように折に触れてある法律を調べてみて、何らかの結論が得られたなら、それを一般の人々にわかりやすい形で公開することは、法治国家としてむしろあるべき姿なのです。

通りすがりの者さんには、法律のあり方をもう少し勉強してから、そのようなことを申されるべきでしょう、といっておきたいと思います。