隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

正しい「反論」の作法

今回は、正しい「反論」の作法について考えてみます。
私は、自分の意見を他人に押し付ける気などまったくありません。それどころか、時間があれば自分の意見はこれでよいのだろうか、と内省をしています。ですから、人から「反論」を頂戴することは、非常にありがたいことだと思っています。ただ、「反論」はありがたいのですが、単なる「反対」はそれほどありがたくありません。「反対」とは、論拠なく相手の意見を否定することです。もっとも困るのは「反論」の体を装った「反対」です。
このページを前からごらんいただいている方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、ここのBBSで一時「ただの通りすがり」さんという方とNHK受信料の支払い義務について議論になったことがあります。たとえばBBSからの引用になりますが、私は以下のように書きました。
スギナミコさんとただのとおりすがりさんはしつこく「NHKの受信を『目的とする』」かどうかは、お前が勝手に判断していいものじゃない、それはテレビがあったら自動的に目的も合ったと判断されるのだ、とおっしゃっていますが、この件については論拠不十分であると思います。
これに対して「ただの通りすがり」さんは
どうしてですか?論拠を示してください。
と答えています(答えになっているかどうかは謎ですが)。論拠不十分だという指摘に対して、論拠を示せといわれても困ります。たとえば、「東京は大都市である」ということを誰かがいったとします。私が「論拠が不十分です」といったら、「論拠不十分であるという論拠を示してください」といわれたようなものです。私の指摘に対しては、「人口が何人を超えている」「人口密度が何人/kmを超えている」というような論拠を示せば言い訳ですが、この人の頭の中では「東京=大都市」ということがもう超然たる事実として定義されていて、それを疑問に思う人に対してその根拠を示そうという知力が完全に欠如しているのです。
同じように「ただの通りすがり」さんの中では「NHK受信料=義務」という公式が成立してしまっていたのでしょう。このため、これを否定する人間に対してはヒステリックに反対することになります。というのは、彼が私にわからせようとしている「事実」は、彼の中ではすでに「公式」として成立しているものであるため、その論拠を提示することなどばかばかしくて彼にはできないのです。
その後「ただの通りすがりさん」の投稿の中には、このような言い回しが多く使われるようになります。
私はあなたが何度も聞くたびに論拠をきちんと示しています。
ここには「このような論拠を示した」ということはかかれません。追求したことに対して「すでに書いた」といって逃げるのです。なるほど、よく読めば書いていたのかもしれません。また、書いていないにしても、本人は「書いたつもり」になっているのかもしれません。しかしこの方は、自分が話をしている相手がまったく違う考えを持っている人間であるということを完全に忘れています。まったく違う考えを持った人間に、自分の考えを納得させるのに、同じ内容を手を変え品を変え書くこと、これは当然ながら要求される技術であり、「反論」の基本といっても過言ではありません。BBSの内容を読み返せば、私はこのように同じ内容をさまざまな角度から説明しなおしていることがわかると思います。もし、一度書いた(と思っている)ことは二度と書かない、というのであれば、私はホームページの記事ですでに書いている内容については何も書く必要がありません。しかし、相手により理解してほしいからこそ、同じ内容を繰り返し、微妙に表現を変えて記載しているわけです。一度書いたことは相手が当然読み、自分が思ったように理解してくれているなどと考えるのは傲慢以外の何物でもありません。
・・・についてすでにお話したとおりであり,あなたはそれについて何も反論なさってません
上は「ただの通りすがり」さんの投稿からの抜粋ですが、「反論していない」=「合意した」ということではありません。このような自己中心的な考え方では、人に自分の意見を納得させることなどできません。何度かのやり取りの後、「ただの通りすがり」さんは「自己の利益にとって都合の悪い主張に対してヒステリックに反対」しているだけ、ということに思い至り、これ以上の議論は無駄と判断しました。筋の通った反論であれば私は耳を傾けます。しかし、どう読んでもこれは「反論」の体をなしていないと判断せざるを得ませんでした。「ただの通りすがり」さんの態度は、以下の投稿に集約されるでしょう。
一方が望んだらとは言っていません。法律が締結を義務づけているだけです。
契約自由の原則は無制限ではありませんし,場合によっては強制契約と言って,締結を強制させられるものも契約と呼ぶことがあります。契約という言葉の多義性を知りたければ,星野英一『民法概論IV』でもどうぞ。
「契約をしなければならない」という言葉は読めますね?政府が契約強制と解していることはご自分の目で確かめられましたね?現実から目をそらさないでください。
実は、このとき「契約自由の原則」などという表現は、私は使っていません。「一方が望んだからといって無理やり契約が成立させられることなどありません」といっただけです。私が使っていない言葉まで持ち出している時点で、私の書いている内容をろくに読んでいないということがよくわかります。自分が「私はすでに論拠を書きました」といって、自分の投稿をよく読め、というようなことを暗に示唆しているのに、自分は他人の投稿をろくに読んでいないわけです。そして、最後に「現実から目をそらさないでください」と畳み掛けます。ここには、自分の意見を真摯な態度で人に理解してもらおう、というような姿勢はまったく見られず、自己中心的な意見の押し付けであることがよくわかります。
最近、ヘンな「NHK支払い者」と名乗る方から、メールをいただきました。
何度かやり取りをしたのですが、当方の指摘に対して自身に都合の悪い部分は無視して、部分的に引用して奇妙な応酬論法でメールを返してこられたので、「悪質な批判者」と判断して受信を拒否することにしました。このときの論法がなんとも「ただの通りすがり」さんに酷似しているではありませんか。私の意見をろくに読んでいないところなど、そっくりです。
彼の主張は、私のホームページに書かれていた、NHK支払い者に対して私が「心やさしき人ですね」と書いた部分に対しての反対でした。「NHK不払い者であるお前は、支払い者に対して意見を述べる立場にない」というのですね。まったくもって奇怪な主張です。少しは法律に詳しい方なら、思想信条の自由・表現の自由をすぐに思い浮かべたかと思うのですが、さらに奇怪なことに「お前の表現の自由は認めてやる」的なことがメールには書かれていました。さらにわけがわかりません。「私の表現の自由を認める」のなら「ホームページに何をかいていようが私の自由」なのですし「お前はそのようなことを書く立場にない」というのはかなり矛盾しています。いっそ「俺は心やさしきものなどではない。そのようなことをかかれるのは不愉快だ」とでも書いてくれればわかりやすいのですが、そのように指摘したところ「不愉快などではない。お前は意見を述べる立場にないといっている」と言うのです。もう、わけがわかりません。このように、自分の意見も筋道立てて説明できるだけの論理性が欠如した方のために時間を割くのはばかばかしいので、できればそういう方はBBSへの書き込みや、私へのメール発信はご遠慮願いたいと思っています。できれば私は、私が耳を傾ける価値のある意見だけを聞きたいのです。ただ意見を述べたいだけなら、自分のホームページやブログでできる時代ですから。
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