隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

テレビは目的を持つか?

以前、掲示板で少し議論になりましたが、放送法32条の但し書きについて、今回は少し考えてみました。

放送法32条
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。

但し書きとは赤字にした部分のことなのですが、私が問題にしているのは「放送の受信を目的としない受信設備」のことです。
BBSでは文字数の問題もあり、あまり詳しくかけなかったためそれを逆手に取られ、変な反論を食らってしまったので、ここでもうちょっと詳しく解説します。
一般的な解釈では「放送の受信を目的としない」=「(NHKの)放送を受信する能力を持たない」と考えられている、ということは、NHK否定派であるK2さんですら
ホントのところ言うと、私自身も「放送の受信を目的としない受信設備」の「目的」とは、使い方(視聴)としての目的ではなくて、機器としての機能にかかるものと考えるのが普通だろうと思ってます。文章だけ見ると。

のように述べておられることからもわかります。しかしながら、ここでいう「目的」は「受信者が持つものである」と考えるのが自然ではないかと私は考えています。これは法解釈の話になりますから、私が述べている内容はお遊びに過ぎないという点を考慮して、以下の私の考察を読んでみていただければと思います。
まず、「放送の受信を目的としない受信設備」とはいったい何なのか?ということから私は考え始めました。ラジオ・多重放送に限り受信することのできるものについては別に述べられていますので、ここでいっている「放送の受信を目的としない受信設備」とはそれ以外のものである、と考えることができます。
さらに、条文を最初から読んでいただければわかるように、この「放送の受診を目的としない受信設備」は「協会の放送を受信することのできる受信設備」である必要があるのです。つまり、正確に書けば
NHKの放送を受信可能ではあるが、それを目的としない受信設備

ということになります。したがって、「NHKを受信できるだけでそれは但し書きの『協会の受信を目的としない受信設備』とはならない」という主張はおかしいのです。だって、文脈からいえばこれは「NHKを受信できる受信設備」じゃないといけないのですから。
NHKの放送が受信できる受信設備、それはアンテナにつながれたテレビであるということになります(つながれていないと受信できません)。それでいて「(協会の)放送の受信を目的としない」というのはどういうことでしょうか。法律には「協会の放送の視聴」ではなくはっきり「受信」と書かれています。
アンテナにつながれたテレビは、いやおうなしにNHKの電波を拾ってしまいますから、NHKを「受信しない状態にする」ということは不可能です。この点から考えると、「協会の放送の受信を目的とする」かどうかを決定するのは、あくまでその使用者であると結論付けられます。そして、その「目的」度合いは人によって異なり、たまに見る、少しは見るくらいなら、「NHKの受信を目的としている」とはいえないでしょう。NHKの番組の視聴は副次的なものであり、「おまけ」であり「目的」ではありません。私が法律の文面を見た限りでは
さぁ、NHKを受信するから、テレビを買ってきてアンテナ引いてつなぐぞ!

とでも宣言して設置されたテレビでもなければ、この条件はクリアしません。たいていの人は、
テレビみたいからテレビ買って来てつなぐか

と「テレビの視聴」を目的としてテレビを設置するわけで、日本中のどこの人も「協会の放送を受信すること」なんか目的と思っていません。「テレビを買ったのはお前はうちの放送局の番組を見るのが目的だったんだろっ!」などという放送局は、傲慢のそしりを免れないと思います。いってみれば、「おまえ、CDプレイヤー買ったんだから、俺の音楽を聴くのが目的なんだろっ!」といっているアーティストみたいなもんだと思います。