隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

Gmailアカウントをゲット!

先日、友人の西村さんから、Gmailアカウントの招待状をいただきまして、宿願のGmailアカウントを入手することができました。
うわさには聞いていましたが、普通のメーラーとはだいぶ毛色が異なりますね。大体予想はしていたのですが、予想に比べると若干検索機能が弱いような気が・・・。
コンセプトとしては、私が昔から理想として抱いてきたメーラー像にかなり近いものに仕上がっていると思います。私も、以前しこしことPerlでWebメールスクリプトを作ろうとして挫折したことがありますが、そのときの基本コンセプトは「フォルダ分けはしない」「フォルダを分けなくても見つけたいメールはちゃんと見つかる」というものだったのです。

そもそも、パソコンなどでもむやみやたらと階層化フォルダを作成する人がいるのですが、私はどうも好きになれません。確かに階層化ディレクトリ構造というのは革新的なファイルシステムだとは思いますが、情報の整理という意味では「のっぺり」としているべきだと私は考えています。
そもそも、階層化構造、平たく言ってしまうと「フォルダ」の類というものは、たくさんの情報の中から目的のものを見つけようと思ったら、物理的手段を用いる限り「似たものの塊」をいくつか作って、それをたどっていくというやり方が効率的だからです。情報処理アルゴリズムの中にも「ヒープ法」「二分木法」という、これと似た情報分類の方法があるくらいです。
しかし、これは「人間の限られた検索能力」を使って物を探し出す、という前提に立って考え出されたものです。人間は、スケーラビリティーに対してリニアに追従のできない生き物です。平たく言うと、10個ならできたことが、100個だと途端にできなくなるのです。
よく、組織などでもそれぞれの長の部下は7人以下にしたほうが組織がうまくいく、という話がありますが、これもその類かと思っています。
前フリが長くなりましたが、こと「検索」ということにかけては、コンピューターは人間の数段高い能力を有しています。いや、わかっていますよ。高度な検索、たとえばパタン認識などの処理を考えれば、現状ではコンピュータはまだ人間には及んでいない部分も多くあります。ですが、10数年前では不可能といわれた自然語検索が、限りなく実用に近い形で実現されているのです。

これを情報検索に使用しない手はありません。情報は「のっぺり」と保存し、その中からコンピュータが「しゃっきり」と探してきてくれる。これが理想像だと私は思っています。
現状から考えるとしっくり来ませんが、人間の適応能力にはたいしたものがあります。私は、Gmailを使いながらそのような未来的ソフトウェアに想像をはせています。