隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】前近代的医学の誤謬

最近までのいわゆる現代医学、つまり日本の病院に行って受ける診察ないし治療のうち大半を占めるもののことを私は今後「前近代的医学」と呼びたいと考えています。

今までは、わかりやすいのもあって「西洋医学」「現代医学」という言い方をしていたのですが、それだと今現在一所懸命勉強して新しい医療を目指しているお医者様に対し申し訳ありませんので、あえて違う言い方をするようにしたいと思います。

前近代医学の代表的な例は、たとえば風邪への抗生物質の投与です。多くの医師を始めとした識者から「無効ないしは有害」との指摘を受けていたにもかかわらず、実行している医師は大変多く存在します。そこに悪意の存在、たとえば「薬を出せば出すほどお金が入るからでは?!」という疑念が生じるのも無理からぬ話なのですが、それは少し違います。あなたのお医者様は、(ほとんどの場合)良心からその薬を処方しております。実際、何%かの例では抗生物質が奏功するケースもみられるため、一概にそれを「悪意を持った金もうけ」とするのは間違いです。

しかしながら、米国等で最近趨勢になりつつある「実証医学(EBM)」、つまり科学的姿勢でその治療ないしは薬が本当に効くのか効かないのかを検証する医学において、風邪に対する抗生物質の投与は「無効ないしは有害」との結論が出ております。
もちろん統計的な結果であり、ある一個人に対して効くか効かないかという話になった場合は、それを判断するための材料にしかすぎないことを頭にとどめておく必要はあります。

ここで問題となってくるのは、医師の向上心です。勉強していない医師は存在しないとは思うのですが、問題はその「教科書」です。多くの医師が読んでいるだろう「教科書」の内容が古いのです。インターネットをよく見る人ならご存知の通り、本は古くなっても情報が勝手にアップデートされはしません。また、「本」という形態をとることによって、ウソのことがまるで事実のように見えてくるという逆転現象すら生じます。

本を読むときに極力客観的に読むとかそういうことも重要ですが、最も重要なのは医師の本当の教科書は本なんかではないということです。医師の教科書は「人体」です。「人体」をよく知ることこそが、もっとも医療の進歩につながるのです。

もちろん、解剖学などで人体の内部構造などの解析は進んでいますし、内科領域では内分泌系の働きなども徐々にではありますが解明されつつあります。しかしながら、医師が相手にし治療を行わなければならない「商品」は、いつでも「生きた人間」です。解剖学では、「死んだ人間」の体を調べますが、医師が相手にしなければならないのは「生きた人間」なのです。

生きた人間を教科書にするということは、患者をよく理解することです。2時間待ちの3分診療では、これは不可能です。正しい意味で「インフォームド・コンセント」を実行できた場合、その医師は「前近代的医学」から脱却できたといえると思います。

また、医師のゴールは「病気の治療」ではありません。「患者の幸福」です。

今後、実証医学の進歩とともに、インフォームド・コンセントが当然のものとなり、医療に対する製薬会社の関わり方が変わり、代替医療(東洋医療や整体法・カイロプラクティック・ホメオパシーなど)も積極的に取り入れる、そういったあり方を過半数の医師が持つようになって初めて、「統合医療」が完成したといえるのだと思っています。