隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】「精神疾患」への無理解という、古くて新しいテーマ

精神疾患という病気が定義され、原因が不明な「こころの不調」であっても保健診療が受けられるようになったり、障害者自立支援や傷病手当金給付、障害者認定などの社会的な扶助を受けられるようになってきたことには、一定の評価をしたいと思っています。
原因が特定されない限り病気と認められない前近代的医学において、病気の扱いを受けられるようになった背景には、先人たちの努力があるのだと思います。

ただ、扶助を受ける立場として理解しておくべきことは、そのような制度があるからといって、その制度を運用する側(企業や年金事務所)の担当者(総務担当者や産業医・産業カウンセラーなど)がすべからく「精神疾患」のありようを完全に理解しているわけではないし、あなたのことを理解しようと努力してくれることはあっても完全に理解してくれることはあり得ないということです。また、理解する努力もその人のポジション、たとえば総務担当や産業医といったポジションにおいて必要な範囲に限られます。そもそも、人は自分が体験したことしかわからない生き物です。いくら精神疾患の人がどのようにつらいのかと訴えたとしても、それを理解しようと努力することはできても、実際に理解することは難しいでしょう。

そういう意味では、あくまでも本人にしか理解できない、たとえ家族であっても理解できない、それが現実なのだと思います。当然と言えば当然なのですが、これを「古くて新しいテーマ」としたのは、数々の制度の施行・数々の書籍等の発行などによって「社会的に理解されてきている」といった誤解を、私自身がしてきたからです。
数々の制度の施行や数々の書籍の発行があらわしているのは、精神疾患というものに対する「関心が高まっている」ことを現わすだけであり、「理解が深まった」ことを必ずしも意味しないのです。むしろ、書籍の数が増えれば粗悪なものも出てくるでしょうし、その内容を盲信する人も出てきかねません。ひどい場合は、企業の総務部がそういう間違った書籍を「参考書」としているケースすらあり得ます。

結局何が言いたいかというと、「人に理解してもらう」という努力は多くの場合、徒労にすぎないということです。
ブログに書いたりTwritterでつぶやいていたほうが、いくらか気が利いています。