隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

原発問題に見る無責任さ

最近、自分自身「日本」という国に対する思い入れが薄くなっているなぁと感じるのですが、若い世代ではそれがさらに顕著になってきているように感じています。

原発問題が起こった時に「国外への避難」を推奨するような情報がやたらと出回りました。これに対して思うのは、仮に地球に隕石が衝突して消え去るとして、自分だけロケットに乗って逃げられるとした場合、逃げるのか?と言うことです。普通の感覚なら、おそらく逃げないでしょう。一人だけ逃げても子孫は残せませんし、死ぬまでの間悲しい思いをするだけですから。妻や子や親が隕石で砕け散る様を宇宙から眺めたいでしょうか?

国外への避難は話が別だと思う人もいるかもしれません。しかし、日本から人が誰もいなくなって日本と言う国が体をなさなくなったら、逃げた先の国で「難民」になるのです。「日本」と言う国の後ろ盾がなくなるわけですから、いままでのように大きな顔はできません。パレスチナの国民よりもずっと肩身の狭い思いをしなければなりません。私も家族も、いままでに放漫な生活になれすぎてしまっているので、そんな境遇に耐えられるはずはないと思います。ならば放射能で死んだ方がマシです。生きていれさえいれば何とでもなるなんて幻想です。マンガの読みすぎです。

なので、仮に放射能が降ろうがなにが降ろうが、逃げないのです。実際、西へ家族を疎開させた、と言う人は聞きますが国外へ避難した人なんて聞きません。東京は、今日でも問題なく機能し、「海外への避難」をする人の後ろ盾をする外務省もキッチリ機能しております。だからこそ、「海外へ避難」した数少ない人も、大きな顔をして海外で暮らせていると言うことを忘れてはなりません。

福島の子供らがあげたという共同声明?のようなものを聞いて、気の毒だなぁ、と思うと同時にいまどきの子供だなぁ、とも思わされた一節があります。それは「自分らには何もしていないのに大人たちのせいでこのような境遇されてしまった」と言うものです。
それ自体は多分事実だと思いますが、私が思うのは、彼らもやはりいままで豊かな暮らしをしてきたはずなのです。電気はもとより、インターネットやケータイ、教育などのインフラや面白いゲーム、テーマパーク。これらはすべて「大人たち」が作り上げてきたものです。豊かな日本自体、大人たちが作り上げてきたものです。
それらを何の疑問も抱かず享受してきたのです。そのことに少しでも思いをはせたうえでのそういう発言なのでしょうか。もしそうでなければ、大人たちやご先祖様たちが、あまりに気の毒ではないかと思うのです。

原発を作った責任は子供らにはありません。しかし、日本に生まれた責任と言うものから逃れることは、決してできないのです。日本人として、これからの日本をキッチリ背負って行ってくれることを彼らに期待できるようになる日は、いつか来るのでしょうか?