隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】「気」の概念について

統合医療を大真面目に追及していると、どうしても「気」と言う概念が出てきます。
「気」というと、「Dragon Ball」世代の私としては、どうしても「かめはめ波」が出せたりする、あのようなものをイメージしてしまうので、いきおい「そんな非科学的なものは存在するわけがない」と考えがちです。

しかし、統合医療をさらに深く追求してゆくと、「気」と言うものを認められるようになります。正確に言うと、「気」があろうが無かろうが、どうでもよいと言うことに気づきます。現在までの統合医療者は「気」があることを立証しようとした事がないのです。あくまで「体の調子を整える」「病気(不調)を癒す」という目標があり、その目標の過程で「気」と言う概念が現れています。

つまり、病気が治りさえすれば気があろうが無かろうがどうでもよい、と言うことです。

科学的思考を重く考えている人の方が、科学的に立証できない事を否定に走りがちです。
私も実はバリバリの理系ですし、専門はコンピュータープログラミングなので、なんとなくその気持ちはわかります。
文系が重用され、理系が軽く見られる(主に日本の)世相の影響もあるでしょう。

しかしながら、科学的に立証できないという事実は、科学的に立証できないと言うことを表すだけであり、その「事実」が本当に間違っていると言うことを、必ずしも意味しません。
そして、これだけははっきり言えますが、人間の心身は科学的にすべて解明できるものではありません

逆説的な言い方をすると、人間の心身のうち、科学的に解明できる部分と言うものがあり、科学的に解明できない部分(残りの部分)を「気」という、と言うことができます。

ちょっと、哲学的な内容になってしまって大変わかりにくくなったと思いますので、一言でまとめます。

「気」とは、病を治すための「方便」である
ということです。