隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

原子力政策に「悪い人」なんていない

あまりにもあまりなので、良識のあるだろう本ブログの読者の方々と、認識を共有いたしたくこのような記事を書きます。推進派だの反対派だの、安全厨だの危険厨だの、すぐにレッテルを張って攻撃ばかりしている人が、インターネット上にはよく見られます。

私は、インターネットにおけるおそらくほとんど意味がないであろう言論のやりあいは、アメリカの「テロとの戦い」と言うものと、大変よく似ていると思います。
もっとも、あちらでは本当に「犯人」を「ねつ造」してそれを「殺して(または殺したことにして)」国民感情を納得させたりと、いろいろやってますが、日本政府はそういう国民感情を操作するようなことに関しては、割と倫理感が強いと言うか、お国柄と言うのもあるでしょうが、国民の良心を信用しているのでしょうね。

枝野さんは、素直にその時「話せること」をちゃんと国民に話していたと、私は思っています。

そして、おそらくそれは(内容ではなく行為は)正しくて、ほとんど大多数の国民はネットや街宣車でがなりたててているような人のことは信用しておらず、パニックに陥ってもいません。

私は、長いこと官僚の利権構造に対して悪感情を抱いてきましたが、考えてみれば現在の官僚の利権構造は何十年にも及ぶ努力の「成果」なのです。官僚個人でいえば、小さいころからゲームも恋愛もせず勉強にのみうちこんで来てやっと勝ちえた「官僚」と言う地位です。たとえば、あなたが地主だったとして、一生懸命土地を耕して、たくさんの作物が実ったとします。そしてそれが実ったころ、それまで何の努力もせず暮らしていた貧乏人が「腹が減って死にそうだからタダで食わせろ!土地は神様のものだ!」と言いだしたら、どう思うでしょうか?

そう、私は最近では、官僚の利権を肯定する側になってしまいました。
正確には「容認」なのですが、同じことです。ちなみに、わたしは官僚ではありません。

原発事故の際、保安院が「スタコラ」と逃げたことを、公然と揶揄する人がいます。
でも、人として逃げたいのは当然と思います。また、現地に行っても何もできないなら、逃げた方が被害が少なくなるという事も事実です。「保安院」の職員すなわち「官僚」で「税金を食い物にして」いるのだから、有事の際は「死にに行って当然」、それは特攻隊の思想を「間違った意味で」理解した結果だと私は思います。

爆発する危険があるからこそ、必要最小限の人員のみ残して避難、でいいのです。責めるのであれば、必要ないのに現地入りした管首相の方でありましょう。いったい何の「政治主導か」と言いたくもなります。