隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】妄信と否定は避けた方がよい

私自身患っていて、それを治す方法を10年以上ずっと探してきていて、現段階でたどり着いたのが統合医療という方向性でした。それで、同じような境遇の方と知識を共有出来たらよいなと言うことで、私自身のカタルシスも含めて思いつくままに書いているのですが、こういうことを書き出すとよくあるツッコミが盲目的な否定です。

少なくとも、私自身の体のことは私自身が一番分かっている(はず)という基本的な気づきに対して、否定されても私自身は痛くもかゆくもないし、的外れだなぁとしか思わないのですが、同じような境遇で同じ気づきをまだ得ておられない方々にしてみれば、そういう人のいうことにだって影響を受けるし、的外れな指摘はできれば避けてほしいという思いはあります。

そのような方と論争をすることはあまり生産的な事ではありませんが、ちょっと「言われっぱなし」な感じにはなってしまいますし、私も依然として好戦的な性格ですので、さりげなく切り替えしたりはしますが、悲しいかな、議論している次元がズレているので微妙に理解してもらえていない感が漂ってしまったりします。

もともと、私はバリバリの理系・科学オタク・技術オタク・パソコンオタク・鉄道オタク・システムオタクで、別に論理学や科学の造詣がないわけではありませんし、弁論にもまったく自信がありますが、学生時代からの口癖は「『科学的でない』という言葉は科学的でない」で、オカルト肯定派というか、論理的に考えれば否定できないんですよ、オカルトは。
(最近、ツイッターの「疑似科学批判クラスタ」なんかでも話題になってましたが)

科学を盾にオカルトを否定ないしは批判・非難に回る人と言うのは、多分科学で食べている人なのかもしれませんが、私は科学で食べているわけじゃなくてどっちかと言うと工学で食べている人で、工学っていうのは科学・理学と似ていますけどかなり異なるもので、「動きゃ動いたでOK、理論的な背景を後付け出来たらベスト」っていうのが工学の基本的姿勢ですから、オカルトが存在するならそれを肯定するのは当然と思っています。

否定も肯定もできないものは依然として否定も肯定もできないわけですから、それを否定したり肯定したりをネットに書きこんだりする行為っていうのは、要は、商売なんですよ。そういう方向に世論を持って行って自分が得しようと言うような。ホリエモンの容疑であるところの「風説の流布」みたいなもんであって、科学の根本からはだいぶんズレていると私は思います。

私が統合医療のことを書き込むのは自分の利益と言うよりカタルシス・覚え書き・情報共有の類であって、もちろんそれは自分の利益に最終的にはなるんですが、ちょっと違うと言うか、簡単に言うとお金じゃないと言うことなんですが。

まあ、オカルティックと言うだけで拒否反応を示す人が一定の割合で存在すると言うのはもちろん知っているし、私だってあからさまなオカルトは最初は避ける派ですが、たとえばホメオパシーを否定すると言うその行為に、一体どういう目的・利益が関わっているのか?そういう見かたでそういう否定を見たとき、その真相がちょっとずつみえてくるのかもしれません。