隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

locust0138さんへのお返事

「少なくとも、私自身の体のことは私自身が一番分かっている(はず)」
⇒それが本当ならば、病気になんてなりません。特に心の病気には。病気になってもすぐに治るはずです。これを「盲信」と言うのではありませんか? ただの思い上がりです。

医学も工学と同様に、「論より証拠」、「根拠がわからなくても実際に効果があればいい」という世界だと思っています。代替医療はこの「実際に効果がある」という証明が弱いのです。治療例が信奉者による体験談の寄せ集めでしかなく、信憑性が低いからです。

「弁論にもまったく自信があります」
⇒失礼ながら、とてもそうは思えません。
twitterで何か述べていたようですが、先日の私の指摘は「揚げ足取り」や「誤解」というものではなく、管理人様の根本的な医学知識のなさを指摘したものです。都合の悪い意見を無視しておきながら、「弁論に自信がある」とは見事な厚顔無恥ぶりです。文句があるなら、無視したり陰口を叩いたりせずに反論すればいいではありませんか。好戦的なんでしょ?

煩わしい奴だとお考えでしょうが、ご反論を期待します。
2011-12-19 locust0138
せっかくの愛読者を煩わしいなどとは思ってはいませんが、どうせするならもっと建設的な議論をしましょう。
とは言え、これで終わりと言うのもあんまりですので、いちおう、例によって回答になっているのかなっていないのかよくわからない返答をすることにします。

最初に弁解いたしますが、無視したつもりも陰口をたたいたつもりもありません。もしそのように受け取られるような行為を私がしたのであればお詫びしたいのですが、誰でも見られるTwitterでつぶやくことを陰口とは私は思っていません。

私自身の体についてですが、私は「一番分かっている」のは自分自身だとは書きましたが、「完全に分かっている」とは思っていません。むしろ、何パーセントくらいしか理解できていないと考えています。
もし100%理解できたとしたら、それは「真人」の類(ブッダやキリストなど)になると言うことであると考えております。
私の気づきとは「自分の体を100%理解できた」ということではなく(それはあなたの言う通り完全なるおごりです)「私以外に私の体を一番よく理解し得る存在がいない」と言うことに気づいた、つまり「自分の体の勉強をしないといけない」と言うことに気づいた、と言うことです。

あと、「論より証拠」は私のよりどころとするものの一つでその通りだと思いますが、「代替医療はこの「実際に効果がある」という証明が弱いのです」というのは仮説にすぎないと思います。もちろん、その仮説は正しいかもしれませんし、間違いかもしれません。現時点の私のスタンスとしては、それを積極的に否定する必要性を感じない、と言うだけです。

「弁論にもまったく自信があります」。半分ギャグで書いたつもりだったんですがそんなに引っかかりましたか。では撤回いたします。私は弁論に自信などありません。厚顔無恥。その通りです。私は厚顔無恥な人間です。弁解しません。あなたが「医学」と呼んでいるものに関しての知識がないことについても、全く弁解しません。その通りです。
ただ、「揚げ足取り」といなした(つもり)ことがお気に障ったようなので、お詫びかたがた、先のコメントに回答してみたいと思います。
11/15
胃は切除したら再生しません。臓器で再生するのは肝臓だけです。だから生きた人間から肝臓を取り出す生体肝移植という医療行為が成立するのです。
最初私こんなこと書いたかなと思ったんですが、私の2011/11/15の記事に対する反論だったのですね。それであれば、元記事にコメントをつけていただけた方がわかりやすかったです。私の元記事には「たとえば、意識呼吸のすすめ―現代医療の軌道修正をめざしてに書かれていましたが、胃潰瘍の患者を外科手術して胃を取りだしたとします。その時は治りますが、また胃が再生してきてそしてすぐに胃潰瘍になります。」と書かれていますね。
この「胃が再生」が引っかかったようですが、食道が膨らんで来て胃の代わりを果たすそうです。だから切ってもいいそうな。外科領域の話だから外科の先生に聞いてみてください。私はあくまで伝聞で書いただけです。
11/16
捻挫するのは関節です。筋肉ではありません。頸椎は連続した関節ですから、捻挫しても何もおかしくありません。
頸椎は内部に神経(脊髄)が通っていますので、頸椎を損傷すると神経も損傷する可能性があります。神経は全身に張り巡らされていますので、首以外に症状が出てもおかしくありません。
関節が捻挫するもの、と言う定義の正誤は置いておいて、私はこう書いています。「背骨が捻挫したと言う意味ですが、骨は捻挫しません、捻挫するのは筋肉ですのでおかしな病名です。」撤回しても全然構わないんですが、私が言いたいのは「骨に痛覚はない」と言うことです。関節でも何でもいいんですが、痛むのは「神経の通っている組織」、もっと正確に言うと「痛みを感じる組織」だけです。
よって、表現の正しさは置いておいて、「頸椎捻挫」と言うのが奇妙な病名だと言う認識に変わりはありませんし、実際、医師もそう思っているから最近ではこのような病名を使わなくなったのだと思っています。
私個人は、家庭内では肩が痛ければ「肩イタイ病」頸が痛ければ「頸イタイ病」とか言っています。全身がかゆければ「全身カイカイ病」です。家族にはちゃんと意味が伝わります。それを難しい病名に読み替えて、何か意味があるならいいんですが。「ケイシンワンショウコウグン」とか言っても意味わかりませんし。

私の記事はすべて、私自身の体験に基づいた「気づき」を書いているに過ぎないものなので、この記事を読んだすべての方が同じ「気づき」を得られるかどうかは私にはわかりません。まあ、誰でも自分の体験していないものを書くことはできないはずなので、このような記載は蛇足でしかないと私は思うのですが、今後はそのように理解していただけたら幸いです。