隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】精神科と精神病

私は精神科に通っています。

世の中には、精神科に通っていれば精神病=頭のおかしい人と決めてかかるような想像力の乏しい人がいて、そういう人が精神科患者への偏見を助長し、苦しいのに精神科にかかれないと言う人を産み出しているのだと思います。

福島の放射能差別の話を聞いていても、同じように想像力の乏しい人たちが妙な差別問題を引き起こしていて、辟易とさせられます。

私自身は精神病と思われることをそれほど気にはしないのですが、やはり現実社会では上述のような差別を受けかねないので、一般にはあまり公表したいとは思いません。
ネットでも、私がこのように書いているのをいいことに、議論に詰まると「精神病者が何をほざく」的な事を書かれるもので、慣れたつもりではありますがやはり腹も立ちます(まあ、それ以前につまらない議論はしなきゃいいんですが)。

私は、もっともすぐれた精神科医こそが最も優れた医師になりうるのではないかと思っています。

それは、医療の本質は「人を診る」ことであり、「部分を診る」ことではないからです。
先のエントリでも書いたように、「物質としての人」ではなく「人そのもの」を診ることが必要だからです。
(臨床医で「名医」と言われる人は、必ずそうしていると思いますが)。

体の部分部分に細分化された西洋医学を基礎としている現代医学・標準医療は、「木を見て森を見ず」の誤謬に陥りがちです。
昔、西洋医学を揶揄した話として、喉に魚の骨が詰まった人が咽喉科に行き、「咽喉には骨はない」と言われ、そして消化器科に行って「食道には骨はない」と言われた、と言う話を聞いたことがあります。
骨は必ずあるはずなんですが、自分の科の範疇を超えるとないことにしてしまうと言う、まさに「人を診ない」医療を貶めた寓話だと思います。

病気には原因のわからないものがたくさんあります。
これは「病気には必ず原因があり、それを発見治療する」という西洋医学からみてあまり好ましいものではありません。
そこで考えられた内科医や外科医の最後の逃げ口上が、よく聞く「ストレスです」「精神的なものです」と言うものです。

考えてみればストレスが原因とか、精神的なものが原因とか、それって意味わからなくないでしょうか?
なぜはっきり「原因が分かりません」と言えないんでしょうか。
それは私にはわかりません(ちなみに、東洋医学的にはこれを「気のせい」と言うようです)。

その結果、もっとも「わけのわからない」患者が精神科医の元に送られることとなります。
したがって、精神科医がもっともよく患者を理解しうる存在となりえると思います。
もちろん、「わけがわからない」人だからこそ、多少のことでは医師が批判されにくいと言う側面はあります。
このため、医療過誤による自殺などを招きやすいのも、この科でありましょう(内科の医療過誤で自殺するとは、誰も考えません)。でもだからこそ、良い医師であれば、より「人」を理解しうる存在となりえると思います。

以下、蛇足です。

私は、なにも西洋医学や標準医療全般を批判しようと言うのではありません。

しかし、現在の医療的枠組み(病院の医局のシステムやら保険診療の話やら…)に関しては、批判を避けえないのではないかと言うのが率直な感想です。厚労省を通じて行われる情報操作(コレステロールは体に悪いとか)に至っては、批判どころではすまない話です。

そしてそれが「標準医療」と言われるものと密接につながっていることは、想像に難くありません。考えてもみてください。10年やそこらまえには「コレステロールは卵を摂る量を減らすと減る」と指導するのが標準的な医療だったわけで、「標準医療」だからこそ「必ずしも正しいわけではない」と考えるのがまっとうではないでしょうか。
「標準医療」と言う言葉にあぐらをかいて進化を怠ったり、代替医療を叩いたりと言うのは、完全に本筋から外れています。代替医療を叩く暇があれば、代替医療を見習うべきだと思います。患者は、自分にとって「気持ちが良い」ものを選べばよいだけです。