隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】人は急には変われない

「生まれ変わったよう」という表現がありますが、最近、年を取ったせいか「生まれ変わったよう」に人が変わると言うことは、ないのではないかと思うようになりました。

考えてみたら、人間の思考様式というものは、生まれてこのかたの経験の堆積によって形作られているものですので、容易に変わりようがないと言うことはたやすく想像できます。
追い炊き機能のないお風呂を適温に調整するようなものです。最初、熱めのお湯を張って後から水に変えて調整します。水に変えた瞬間にお風呂の中身全体が冷たくはなりません。だんだんぬるくなります。ぬるくなりすぎたらまた熱いお湯にします。それを考えながら調整します。

人間の「進歩」というのは、つまるところそういうことなのだと最近とみに思っています。

ココだけの話、私は去年「プチ悟り」を開きました。極限の苦しみが私に悟りを与えたのです。
しかし、そこにあったのは相変わらず病気は治らず、考え方も偏っており、負けず嫌いで、ろくでもない自分でした。
しかも、「悟った」とか言っている割には、言っていることが昔から何も変わっていません。
一体、なにを「悟った」のでしょうか?

要は、「方向性に気付いた」というだけの話です。「エラソーなこと言っておきながら何もわかっちゃいない」「勉強不足だ」。その通りなんですが、そういう指摘をする人にはわからないことが私にはわかっています。

私は今まで、水道の温度しか見ていなかったのです。熱いか冷たいかしか見てなかったのです。しかし、浴槽全体の温度、そしてさらには、浴槽内でも深いところと浅いところの温度差があります。さらに、時間がたつと勝手に冷めてしまうと言うこともあります。その全体を見て、水道から出る水の温度を変化させなければならないと言うことが分かったのです。

でも、それがわかったからと言って浴槽の水の温度はすぐ適温になるわけではありません。また、水道の水の温度の制御も、浴槽のお湯の温度の検知も、まだ十分ではない状況です。ただ、そういうシステムになっていると言うことに気付いた、それだけの話です。

お風呂の水の量の最終量は決められてますので、その容量内で適温にしないといけません。
うっかりしていると、ぬる~いお風呂になってしまいます。もしかすると私の場合、相当量のお湯が既にたまっていますから、今からでは適温にすることは不可能かもしれません。

ゆっくりしか変化はできない、しかし、全体を見据えて、最後まで適温にする努力を怠らない。でも、最終的に適温にはできないかもしれない。それでもやり続けるしかない。

今の私は、人生とはすなわちそういうことなのだと考えています。

病気を治す、ということを考えてみてもまったく同じことが言えると思います。
風邪をひいても、急激に治ると言うことはありません。まずくしゃみや鼻水、咳が出はじめ、次に熱が出て、汗がダラダラと出て、熱が下がります。
一般的な人は知りませんが、ここではまだ風邪は治っていません。実は、体温が平熱以下に下がっています。
この体温が平熱に戻って初めて、風邪は完治します。それまでは横になっているのがベストとされます。
ただの風邪でも、ここまでに通常1週間程度は要します。それも、無用な「治療」を行わなければ、の話です。

忙しい現代人はそんな暇はないので、解熱剤で熱を下げて会社に行ったりしますが、熱は体が細菌やウィルスと闘うためにあえてあえて上げているもの。これをむりに下げると細菌やウィルスと闘う力は下がり、完治せず風邪は長引くばかりです。1 ヵ月や2ヵ月、ヘタすると年中風邪をひいている人もいるでしょう。

咳止めや鼻水止めにも同じことが言えます。下痢止めも同じですね。
体の中に不要なものを排出しようと言う作用ですので、止めれば風邪は長引きます。
なので、「最近の風邪はたちが悪い」と言っている人が多いのでしょうが、実際には「最近の風邪への対処法はたちが悪い」わけです。

これは、「人は急には変われない」ということと、まるで無関係ではないように私は思います。

急に変えようとした結果、余計変われない、悪循環に陥る。あり得る話です。
そういう悪循環に陥らないよう、気をつけて生きていきたいと思います。