隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

水には薬効がない!?

以前、ホメオパシーのレメディは水と同じだから薬効がないと言うのを読んで、なるほどそうなのかなと思ったことがあったのですが、考えてみたら「水に薬効はない」という前提で書かれています。
では水に薬効がないことは証明されているのでしょうか?

そんな壮大で大それたことを証明しようとしている人がいるとしたら多分バカだと思いますが、多分されていないでしょう。
むしろ、水を10日も飲まなければ分かると思うのですが、水は飲まないと逆に命にかかわると言うのは多くの人がご存じのとおりです。
もちろん、飲みすぎも毒ですが・・・(水中毒を参照してください)。

平たく言うと「水に薬効はある」わけです。
確かに、WHOも熱中症のときには水分を摂りなさいと言っています。標準医療の大元締め?WHOが水の薬効を認めているわけです。まぁ、薬じゃないので薬効じゃないけど・・・。

では、「水」である「レメディ」を売る「ホメオパシー」がなぜそれほどことさらに嫌われ排除されなければならないのでしょうか?
水に薬効があるんだからレメディにも薬効があってもおかしくないんじゃぁ?

と思った方はまともな論理的思考力の持ち主と言えます。実のところは私にもよくわかりませんが、水に薬効があっても、レメディには薬効があってはいけないようです。というか、薬効がないことがホメオパシーの定義なんです。これは、ホメオパシー否定論者の定説みたいなもので、宗教じみているので、改宗させるのは骨です。

「薬効がないから、薬効があるのだ」というような、哲学をかじっている人なら「お!?」と思っていただけるようなしゃれすら通じないのには困ったものです。

で、レメディが効くのか効かないのか。私自身は飲んだことがないので知りません。
でも多分、飲んだら効くのじゃないでしょうか?
私は今まで、およそ薬らしいものを飲んで何の効果も感じなかったことの方が少ないからです。

たとえば、パニック障害の人は、パニックになったら飴玉をなめると治るそうです。
なぜ飴玉をなめるとパニックが収まるのか。標準医療では説明がつけられません。
もちろん、優秀な臨床医は飴玉をなめることを止めたりはしません。とは言って、効果に個人差があるので、ことさらに進めもしませんが。

同じような例として、病院に行くと「輸液」と称してほとんど水(食塩水)を点滴されることがあります。これで症状が軽快することはまれではありません。
ちなみに、最近では熱中症などの場合には点滴より経口輸液(要は食塩水を飲む)のが良いとされているようですね。注射針とか技術が不要ですから。

怪我をしても、今ではあまり消毒などはせずただ水で流すだけ、というのが標準の治療だそうです。もちろん、血がダラダラとすると困るので何らかの処置は必要ですが・・・。

優秀な臨床医はとっくの昔に実践しているようなことの繰り返しでしかないのですね。

要は、こういうことです。あくまでたとえです。

A社は、ものすごく苦労して太陽電池の製造技術を開発し、それなりに実績があるとします。
ある日B社が、突然のひらめきでもっと簡単に太陽電池を作る技術を編み出してしまいました。これによりコストは100分の1になりました。できるものはA社の物と寸分違わないものです。

A社はきっとこう思うことでしょう。「B社の製造技術には何か欠陥があるに違いない、そうじゃなければわが社の100分の1のコストで製造なんてできるはずがない」

あるいは、買収・合併等が行われるかもしれません。
なぜなら、本来ユーザーが受けるべきコストダウンの利益を、2社で一人占めしてしまえばもっと儲かるからです。

医療の進歩は、こういうことの連続なんだと思います。
だからこそ、あまりに革新的な発見はオカルト視されやすいのでしょうね。