隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

晩婚化と少子化について

人間の性的円熟期は15歳から20歳で、それ以降は衰える一方です。特に女性に関しては、35歳を過ぎて子供を産むことは自殺行為と言えなくもない愚挙です。と言うようなことを、とある(医師の経験がある)整体師の方から伺いました。

今では「差別」だとかで書けないそうですが、昔はカルテに「マル高」のマークを入れられていたそうです。今でも、マークはなくても口頭では「マル高」と普通に(妊婦の前以外では)呼んでいるそうです。そもそも、カルテには年齢が書いてあるわけですから、あえてマークを付ける必要もありません。実際に、2倍とかじゃなくて10倍とか20倍とかのオーダーで危ないんだから、しょうがありません。危ないものを無理やり危なくないと言いくるめるなんて、原発安全神話とまったく同じ構図です。

まったくその通りだよなぁと35歳を過ぎた妻に子どもを産ませたことを反省しつつ(実際高血圧とかで危なかった)、なんでこんなにも晩婚化が進んでしまったんだろうなぁと言うことを考えていました。

昔「14歳の母」というドラマがありましたが、「14歳で子供を産んでちゃんと育てられるのっ!?」っていう母親のセリフが迫力がありましたが、実際現在の日本ではこの母親の言う通り、親の支援を受けずに14歳で子供を産んで育てることは難しいし、夫となる14歳の男性も収入は当然ないわけで、「その通りだよなぁ」と思わずにはいられない迫力がありました。

しかし、実際にこのドラマ(ではありますが実話がベース)では、両方の両親の支援を受けて子供を産むこととなり、夫となる男性も高校に進学したようではあります。結果オーライのようにも思えますが、親は働けませんが祖父母は当然若く収入もたくさんあるわけですから、祖父母の援助を前提とすれば出産と進学を両立することはそれほど難しいことでは無いわけです。

若いがゆえに(正確には、もっとも出産に適切な年齢であるがゆえに)出産に関するリスクは極めて低く、また周産期・産じょく期の活動できない期間も極めて短くすみます。

つまりは、特に悪いことがなく、むしろいいことなわけです(ま、両者に愛があればね)。あくまで、観念的な理由で「14歳は子供を産んではならない」となっているわけです。

日本は少子化で困っていると言っているのだから、どんどん若いうちに子供を作りましょう、となって行ってもおかしくないわけです。中学や高校にも「産休」制度を設けるとか病院で受講できるようにするとかの体制作りを進めたらよいのではないでしょうか?

子持ちの女子高生を差別せず普通に大学に進学できるようにしたり、就職できるようにしたりすればいいのではないのでしょうか?

でも、実際に取られている政策はむしろ逆で、経済的円熟期を迎えていない人間は(子供を「養えない」人間は)子供を産むな、と言われるのが現実です。金がないやつは子供を作るなと、極論すればこうなります。

実際、「14際の母」では両祖父母が割と裕福であったから問題となりませんでしたが、両祖父母が経済的に自立できていないような人であれば産むことは難しかったでしょう。

野田聖子議員が莫大な金に物をいわせて無理に子供を作ったというニュースもかなり冷やかな視線で見られているわけですが、ここまで行かなくとも、実際に出産・育児にはそれなりにお金がかかります。それなりに行政の支援もあるわけですが、はっきり言って全然足りません。

しかし、経済的円熟期を迎えられる時期は、不景気の影響か団塊世代の勝ち逃げの影響かどんどん高年齢化して行っており、ひどい例になると経済的円熟期なんて一生来ない人すらいます。

そういう人は「種として後継を残す価値がない」から経済的円熟期を迎えられないんでしょうか?私はそうとは思いません。

団塊世代が死ぬのを待っていては、私ら世代は子供なんて残すことができません。しかし、団塊世代はお金を放そうとはしませんし、既得権に守られている公務員や大企業の社員はなんとか「勝ち逃げ」することしか考えていません。

ここはひとつ、はざま世代の私らは「負け逃げ」と言う考え方を実行してみてはどうかと思います。

子供は親に面倒みさせればいい、家も建ててみればいい。親から金をもらって建てればいいのです。
日本の総資産の80%くらいは保有していると言う団塊世代から金を奪うしか、我々には生きる道はないと思います。
(そういう意味で「ニート」は一種の社会貢献だと言う論をどこかで読みましたな)。

まあ、日本人なんて5000万人くらいまで減ればいいし、減ることの何が問題なのか良くわからないのですが(労働を効率化するなり外国人を働かせるなりして行けば国の運用はできる)、種としての本能として子供は残したいのではないかと思います。

そういう社会的バイアスに負けずに子供を残せる人のみが子供を残すと言うことで、それはある意味自然淘汰なのかもしれません。