隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】病気の治し方

今日は、統合医療の究極の目的ともいえる「病気の治し方」について書きます。

1)「病気」と思わず「症状」と思う

前近代的医学、とくに精神医学にかかってしまうと、とにかく何でも「病気」にされます。ちょっと人付き合いが悪いと人格障害、酒を飲めばアルコール依存症、タバコを吸えば薬物依存症、胃もたれすれば逆流性食道炎、緊張しておなかが痛くなれば「過敏性大腸症候群」、喉がつかえた感じがあれば「咽喉頭異常感症」、腰が痛くなれば「腰椎椎間板ヘルニア」。とにかく何でも病名をつけて「病気」にしてしまいます。

しかし、漢方の「未病」とかの概念を持ち出すまでもなく、人間には「病気」「健康」の2つしか状態がないと言うことがありえるでしょうか?私はそんなことはないと思う者です。

もちろん「日常生活に支障をきたす以上の不調を病気とする」と言った定義は可能かもしれませんが「日常生活に支障をきたす」と言うのであれば骨折で松葉づえをついている状態は果たして「病気」なんでしょうか?

そして、自分を「病気」だと考える思考は本当に自分を「病気」にします。思考は現実化するからです。
「肩が痛いな」「喉がつかえるな」と考えるのは構いません。でも、自分を「病気」と思うことにメリットはまったくありません。
もちろん、社会的に(会社を休職する場合など)「病気」と定義してもらった方が便利な事はままありますが、それは「方便」と考えて、本当に自分を「病気」だなどと考えないようにしましょう。

2)地味にしか良くならない

ドラマ的な一発逆転劇はありません。たとえばガンを手術で摘出したとしても、正常な組織の回復には時間がかかります。
特に精神疾患とか言われる方の多くは疲れているケースが多く、正しい休養を取るだけで徐々にではありますが症状は軽快します。
疲れているのに、仕事を続けるために「精神薬」を飲んでも、「カラ元気」しか出ず体は回復しません。仕事を休みましょう。

不調は、地味な休養でこそ地味に良くなりますが、良く聞くような劇的な回復は期待しない方が良いです。「劇的な回復」などとうたっているものは、だいたいが商売です。
逆に、何かこういう治療法をしないと急激に悪くなると言うことも原則としてありません。だいたいのケースにおいて、そういうものは自身の強迫観念に由来しています。

私はそういう人には「まず落ち着け」と言うことにしています。あわてても何もいいことはないからです。

3)「睡眠」こそ最強の薬

正しい休養は「何も考えない」のがベストですが、それが実行できるような人はそもそも病気になりません。禅宗で永年修行して初めてたどり着き得る境地で、我々一般人には及びもつきません。

もちろん、瞑想の修業をすることは無益ではありませんが、やはり地味にしか上達しませんしすぐに症状を軽快するほどの効果を得ることは難しいでしょう。

そういう意味において睡眠は大変重要で、正しく毎日睡眠をとるだけで本来一生健康で生きられるのですが、正しく睡眠を取れないから調子が悪くなります。

なので、ときには「睡眠導入剤」が効果を発揮します。「睡眠外来」があるような病院が近くにあればそこに行くのがベストですが、無い時は精神科臨床経験のある医師の指導を仰ぎましょう。

4)医者は敵ではなく味方である

たまに医者に「薬を飲まされた」とか言っている人がいますが、はがいじめにされて口に薬を押し込められでもしたのでしょうか?最初に辛い症状があってそれを解消するために病院に行き、医者は良心に従ってあなたの症状を良くしてやろうと思って薬をくれ、そしてあなたはそれを信じて飲んだはずです。

医者が悪いものであるとか、医者があなたを薬漬けにして儲けようとしていると言った思考は、決してあなたを健康には導きません。
もちろん、医者が善意でやっていても良くない治療法と言うものはあるわけで、自分でも勉強をすることが必要です。
しかし相手はプロなのですから、生半可な勉強は逆効果となります。

5)整体やマッサージ・カイロプラクティックは少し元気になってから

整体やマッサージ・カイロプラクティック・鍼灸と言った代替療法は、体にある元気を引き出すものです。なので、元気がまったく喪失している状態ではこういったものをなるべく試さず、休養に努めた方が良いと思います。
むしろ回復期にこういった代替療法を併用するのがベストだと思います。

当ブログでも何度か紹介させていただいている自力整体は、原則として予防目的であり治療レベルを求めるのは独学では無理があります。

もっとも、軽い症状であれば独学レベルの自力整体であっても、最低限「気休め」の効果がありますので無益ではありません。「気持ちよさを味わう」「体重を利用して(無理な力をかけずに)全身を緩める」というコンセプトで取り組むことは悪くありません(もちろん、出来る元気があることが前提です)。

集中して自力整体をやっていると、時折無心に近くなりちょっとだけ瞑想状態を味わうこともできます。

もちろん、気功体操とか太極拳とかヨガでも多分いいのだと思いますが、だいぶつ的には自力整体が一番コンセプト的にに近いのでオススメしているものです。

6)漢方やハーブ・ホメオパシーは「気休め」によい(宗教もアリ)

1)とほぼ同じ意味なのですが、「病気と思わない」=「病気であるという意識から遠ざかる」と言うことなんですが、これは実はとても難しいのです。

「病気と思わないでおこう」と「思った」らもうダメなのですから、とても難しいことは想像に難くないと思います。そういう時は「思わないでおこう」と思うのではなく「良くなった自分」をイメージします。多分、看護学とかでも同じようなセッションがあると思うんですが(勉強してないので知りませんが)、患者に「退院したら(元気になったら)何をしたいか」を聞いたりするでしょう。終末期医療とかでも同じようなエピソードがあるんじゃないでしょうか?

そういう意味で「神秘的な力で病気が治る」イメージをもたらすものは例外なく良いものなのです。ハーブやホメオパシーが「人体と言う物質に物理的・化学的に作用するか否か」は問題ではありません。「神秘的な(科学では解明されていない力)で心と体にいい影響を与える」というイメージが重要です。カラーセラピーやアロマテラピーも同様でしょう。
こういったものは、薬理的・科学的な効果がないものの方が良いのです。

科学的な人体へのアプローチが限界を感じつつある昨今において、こういう神秘的なアプローチが残っていることは心強いと言ってよいでしょう。

同様に、神社にお参りしたり、神社の境内の一番大きな木に触れたり、パワースポットに行ったりと言うことも良い影響があると思います。もっとも、体調のすぐれないときにはお勧めできません。

7)自分の感覚に敏感になる

これは神田橋篠治先生は一番重要と言っている「気持ちよさを味わう」と言う点なのですが、「気持ち悪さに集中」してしまうと逆効果になってしまうので良し悪しな面があります。

「悪いイメージを消す」ではなく「良いイメージを持つ」と同様、「気持ち悪さを気にしないよう努力する」のではなく「気持ちよさを見つけ出し、探し出すことを得意になる」と言うことが必要となります。

思いつくままに書いてしまいましたが、心に響くものがあれば取り組んでいただきたいと思います。