隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

でたらめばっかり書いています

誰かさんに指摘されたのですが、このブログは「でたらめばかり」だそうです。

それを否定する気は、私にはありません。

書かれたものごとに対して「でたらめか否か」という視点しか持ちえない人とは、議論自体が成立しないためです。

決して自分で「でたらめ」と思うことを書いているわけではありません。

でも、読む人によっては「でたらめ」に見えることもあるのだと言うことは分かっています。

ただ、少なくとも書いたその時点で「書くべきである」と思ったことを私は綴っています。

これは、誰でもそうなのではないでしょうか?

書いていることを自分自身が「でたらめだ」と思って書いているブログ主がそんなにたくさんいるのでしょうか?

商業主義者や、一部の企業のホームページやブログではそういうこともあるのかもしれません。

しかし、ここは個人ブログです。発言の責任が皆無とは思っていませんが、少なくとも「今」「この自分」が「思っている」ことに間違いはありません。

このブログは、私の生きてきた半生の経験と学習を込めて書いているつもりです。

それを「でたらめ」の一言で否定してしまう精神性を、私はあまり評価しません。

どんなにおかしいことを言っているように見えても、その裏には一定の意味があるのです。

それを感じ取る精神を少しでも共有できたらと言う思いで、綴っているものです。

ちなみに、今のところは「同一人物説」が有力です。

まあ、どうでもいいことなんですけども。