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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

最近の天気予報は当たらない?

先週末、うちの地域で「晴れ」と予報が出ていたのに雷雨(ゲリラ豪雨?)がありました。
最近、天気予報が当たらないと感じている方は少なくないのではないでしょうか?

実は、私自身は昔から天気予報は信じておらず、車に乗り始めるまでは天気予報など見なくてもおおむね天気を予想できました。

まあ、飛行機雲の長さとか、夕焼けの色とか、そんなありふれたものに始まり、肌に感じる雨の「気」のようなものも、なんとなくですが分かったように思います。

今となっては、車に乗るようになったため天気を気にする必要がほとんどなくなり、「自分天気予報」の冴えもあまりなくなってきていますが・・・。

で、気象庁の天気予報が当たらない理由なんですが、そもそも天候と言うのはいわゆるカオスだと考えられていて、カオスと言うのはそもそも理屈では予想出来ないものと言う定義ですので、天気予報と言うのは地震予報と同じくらい自己矛盾しているわけです。

つまり、当たらなくなった理由は「科学(理屈)が発達したから」ではないかと、私は思っています。

科学が発達してなぜ当たらなくなるのかと言うと、自分自身の感覚を科学の力で否定されてしまうためです。

私が大好きな歌詞の一節にこういうのがあります。
予報ははずれて 予感は当たった
低い雲から 雪が千切れた
Wonderful & Beautiful レミオロメン
まあ、もちろんマクロ的な意味における近代的な天気予報全般を否定するものではもちろんありません。最近のタンカーは「凧」を推力にしているそうで、それには「風予報」が一役買っているそうです。

しかしながら、ミクロ的(個人的)な意味における天気予報の位置付けは、天気予報の科学化・理論化が進めば進むほど、意味がないものになっていくような気がします。

平たく言えば、天気予報が雨と言おうが晴れと言おうが、自分の感覚で判断した方が正しいケースが今後どんどん増えていくんじゃないだろうか、と言ったところです。

同様、地震予報なんていうものは完璧にお金の無駄遣いでしかないと思います。ナマズの研究をする方がヘタをするといい結果を導くでしょう。まあ、最近の「地震学者」と自称しておられるような人は「揺る揺る詐欺師」なんじゃないか?と私なんかは思っているのですが。

このあたり、医療における事情と似ているように思って、このようなエントリを書こうと思いました。