隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】病院に行っても寿命は伸びない

以前、医療の効果を個人に対して実証することはできない、と言うことを書いたのですが、少しわかりにくかったかもしれません。もうちょっとわかりやすく言うと、「現在研究されているような医療は、『平均寿命』を伸ばすことには確実に効果があるが、『あなたの寿命』を伸ばすことに寄与するかしないかは分からない」と言うことです。

これはちょっと考えればすぐわかると思います。どんなに医療が進歩しても、あなたが明日車にはねられて死ぬ運命なら意味がありません。これに反論する人はいないでしょう。

極端な例と思われるかもしれませんが、不慮の事故で死ぬ人は全死亡者の3~4%の割合で、宝くじが当たるよりはかなり高い確率だと言うことになります。

上記のような行間を読みきれなかった方が「なら病院に行くな」などと言っていたようなのですが、まあ確かに分かりにくい書き方だったので理解できないのも無理はありません。

一方、これは私が言いたい事を逆から述べていただいていると言うことにも気づきました。

前のエントリでは何が言いたいのか自分でもよくわからなかったのですが、要は「(あなたの)寿命を伸ばす目的で病院に行くのは無意味だ」と言うことです。

実際に、大腸がん検診を受けたグループと受けなかったグループの平均余命に有意差がなかったと言う調査結果が発表されており、上記の事は事実なのです。

こういうことを書くと、医療利権側ないしは医療利権に洗脳されている人から「大けがをして血がダラダラ出ていても病院に行かないのか」などと言った、極めてパーソナルで統計的には意味がない、反論になっていない反論をする人が現れるのですが、統計的には病院に行くことは寿命を延ばさないと言うことはどうやら事実のようなのです。

この意見に反発を覚える人は、多分統計学のことを理解できていないのだと思います。

結局何が言いたいかと言うと「長生きした方が勝ち」とかいう思考からいい加減脱却しませんか?という提案です。
まえTwitterで論戦になった人が最後の方に「じゃあ10年後生きていた方が勝ちだ」と言うようなことを書いたのですが、私にはまったくナンセンスな提案にしか思えませんでした。

それなら、何らかの手段で相手を特定して殺せば勝ちと言うことになってしまいます。上記の提案がバカげていると言うことは誰にでも理解できると思います。人は死ぬ時は死ぬし、死なないときは殺しても死なないのです。そんなことで優劣は決まりません。

私は、不幸な人生を長々送るより、幸せな人生を短く生きた方がいいと思います。
もちろん、幸せな人生を長く生きるのが一番なのですけど。

だから、私は思います。寿命を延ばすために、医療行為を求めるべきではないと。

自らを幸せにする行為のみを、人は行っていけばいいのです。
自らを不幸にする行為なら、たとえ「それをしないと寿命が縮むぞ」と脅されても、私はしないのです。
たとえば胃カメラを飲むとか、大腸ファイバーとかです。

痛いのは嫌いだし、第一貴重な人生をそんなことに費やしたくありません。

その点、鍼灸や整体はやっている間たいへん気持ちよい心地を味わうことが出来ます。
こういうものこそ、医療の原点として追及してゆくべきなのだと思います。

つらい思いをして寿命を延ばしても仕方がありません。前近代的医学の洗脳から脱却すべき時が今そこまで来ています。