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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

「論理的揚げ足取り」の無粋さ

一昨日「Chikirinの日記」に「2012-05-14 「稼ぐことの価値」を示せていない私たち」という記事が掲載されていました。

その主旨は、人間には「価値の創造」と「価値の分配」の2種類を行う人がいて、最近の人たちは「価値の分配」のほうに偏りすぎじゃないの?というもので、まあ一言でいえば「最近の若いもんは・・・」をちょっと今風に書いた感じの記事でした。

その中で、「創り出された価値」の例として「新幹線」が挙げられ、「価値の分配」を行う者の例として「国」が挙げられていました。

鉄道ファンなら当然知っていると思うのですが、「新幹線」は「国」が作ったものです。私は、半分ギャグで「あの・・・。新幹線は国が創ったって知ってる?」とつぶやきました。

「価値創造側」と「価値分配側」が同一ということは、価値を創造し分配するという存在がいるということです。「創造側」と「分配側」をわけてしまう「ちきりん仮説」は、これで完全に崩壊することになります。

まあ、私は「世の中には2種類の人間がいる」とかいう大枠すぎる仮説は基本的に眉に唾をつけてから読むことにしているので、このようなことにも気づいてしまうのでしょう。

と同時に、こういうのが「無粋な論理的突っ込み」なんだろうな、と思いました。

ちきりん氏はつい最近還暦(60歳)を迎えたと言っていましたので、私より20歳くらい年上のはずで、私と違って新幹線の登場をリアルタイムで見ているはずです。当然、最近の若い人だと知らない「国鉄(日本国有鉄道)」という言葉も知っているはずです。ま、計算上当時小学生くらいのはずですので、女の人ですし興味がなければ本当に知らないのかもしれませんが、全く知らないことはないだろうし国鉄時代の新幹線に乗ったこともあるはずです。

だからちきりん氏が「新幹線は国が創った」という事実を知らないということはあり得ず、言いたいのは違うことなんだろうなぁとは思います。第一、同ブログの読者は多くが若い人だと思います。新幹線がどうとかは、どうでもいいのかもしれません。

毎日に近い頻度で、無料でそれなりのクオリティのブログを更新しておられるちきりん氏に、鉄ヲタも唸るくらいの歴史的考証を求めることは、正直無理があるでしょう。世界中のことを知りつくしておられるちきりん氏も、足元の日本国の鉄道の歴史についてはちょっと無頓着だった、ただそれだけの話だと思います。

まあ、挙げ足とりからまた面白い展開も期待できるかもしれませんので、こういう記事を書いてみました。

揚げ足取りは無粋です。だからこそ、そこには自嘲とかギャグ的な要素を含まないと、書いている人が「痛い人」と思われかねません。

最近、そういう風に思うようになりました。