隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

原発をダメとかダメじゃないとかいう文脈で語ること自体がおかしい

現在、日本にはたくさんの原発があります。今はほとんど稼働が停止していますが、停止していると言っても「ガスコンロ」のようなものを想像してはいけません。福島の事故でほとんどの人が知るところとなった通り(私もその一人ですが)、炉心は止まっている間も膨大な熱を発しておりそれを(火力発電などで作った)電力で延々と冷却し続けているのです。

つまり、止まっている原発でも電力が喪失すれば福島のような事態になることは想像に難くありません。なので「危険だから止めろ」というのは正直、無知をさらしているような発言です。

日本経済をボロボロにする人々で取り上げられていて初めて知ったのですが、米国などでは使用済み核燃料は「ドライキャスク」という処理がされ、安全かつ低コストで保管できるようになるそうですが、日本ではドライキャスク自体語る人も少なく、実施されたこともないそうなので、現実的には「暴れ牛を今にもちぎれそうなロープでつないでいる」状態が延々と続くことになります。

なぜ「暴れ牛」を殺さないのかと言うと、まだ利用価値があると考えられているからです。つまり、使用済み核燃料を再利用するためです。しかし、原発を全部廃炉にするなら使用済み核燃料の再利用を検討する必要もなく、よってドライキャスクになぜしないんだというツッコミをするのが正しい反原発派のあり方だと思うのですが、大多数の反原発派の意見は感情的で知識に乏しく、経済収支やエネルギー収支に関する考察が欠けています。経済もエネルギーも、人を殺すと言うことを分かっていないのでしょう。

たとえば、産業革命で化石燃料の使用が開始される前は、地球全体で1億人程度しか養えなかったと言われています。今の地球は100億人くらいまでは養えるとされています。なので、可能かどうかは別として化石燃料の使用をやめれば99億人が死ぬことになります。このような単純な小学生レベルの引き算が出来ない人が、原発反対などとのたまっているわけです。

エネルギーは人を殺します。同じく、経済も人を殺します。もちろん、どちらかと言えばエネルギーの方が重要です。だから産油国には莫大な富がもたらされるわけです。

今の時代、人を殺すのは食糧飢餓ではなくエネルギー飢餓なのです。

だから、化石燃料が枯渇すれば人類は全滅まで行かなくても大変な飢饉に見舞われ、緩やかに大多数が死んでいくことになるわけで、化石燃料依存体質を何とかしたいと言う思いが常にあったのでしょう。その努力の末に原子力・太陽光・水力・風力・地熱はてはバイオエタノールと言った新エネルギーが研究されたのです。

正直、原子力は失敗でした。40年ほど前に研究が始まったころは、もうちょっとおとなしくて制御可能と思っていたのですが実はかなりの暴れ牛で制御が難しいことがわかりました。チェルノブイリのころにはすでにある程度それが分かっていたのですけど、ソ連の情報隠ぺい主義もありましたし、国の原子力利権みたいなものも相まって、引くに引けない状態になっていたのでしょう。

現実問題として、チェルノブイリの時点で原子力を上回るエネルギー源があれば誰もが移行していたことでしょう。ところが、世界の先進諸国も「チェルノブイリは方式がいけなかったのであって原子力自体は安全」と推進し続けました。誰が、原子力を研究・推進してきた人を責められるのでしょうか?

いち技術者としてみれば、ダメなのは原発じゃなくて利権構造そのもので、それはどこの先進諸国にもあり得るものです。日本は国民性と政治形態が相まってそれを是正しにくい構造になっている事は否定できませんが、本質的に人間と言うのは大して賢くない生き物なのです。一度も失敗せずに、新しいことができるようにはなっていないのです。

出来れば、見苦しい「後出しじゃんけん」のような反原発派の意見は、見ずに済ませたいと思っています。