隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】だいぶつの「不治の病」

最近、私はこのように思っています。

「この世の中に健康な人なんていない。全員なにがしかの病気で、それに対して鈍感な人が『自分は健康』と勘違いしているだけだ」
ま、やっかみみたいなものなんですが、実は最近、チベット医学では同じようなスタンスを取っているということを聞いて、入院中に自分が考えていた内容に近かったので、ちょっと安心しました。以下の記事をご参照ください。

【センタリング呼吸法】からだを騙してでも生き延びる
現在、私は原因不明の病気を患っていて、治療法もよくわからない状態です。こういう状態になると「心の持ち方」が非常に難しくなってきます。少なくとも、西洋医学の「原因を見つけ、取り除く」という考え方では全く対処できないばかりか、「原因を見つけられない=一生治らない」ということになりますので、心理的には絶望しか与えられません。

そして困ったことに、不安や絶望は症状を悪化させてしまうのです。なぜかはわかりませんが、不安を感じると痛みとか苦しみも倍増してしまいます。従って、私は「自分が不安にならない方法」をひたすら探していました。病気が治らないまでも、不安にさえならなければ幸せに生きられるからです。

薬に頼るという方法ももちろんありました。ところが、私の場合は不安から抗不安薬を多量服用(といっても通常量程度ですが)した結果、余計に苦しくなったのです。抗不安薬が、なぜか躁状態(強い焦燥感、身体の違和感)を導いてしまいました。

抗不安薬はギャバと同じような働きをして、心を落ち着ける薬なんですが、私の場合抗不安薬は合わなかったのです。あるいは、昔からよく飲んでいたため臨界量に達したのかもしれません。とにかく、私は抗不安薬で躁状態になりました。この抗不安薬はソラナックスという薬です。

結果、自殺未遂を起こしてしまって入院となったわけです。

ソラナックスは広く用いられている薬で、通常量で躁転するというケースはあまり効かないのですが、私の場合振り返ってみれば間違いなくソラナックスが原因だったと思います。

一つ豆知識なんですが、多くの人は「うつ病の人が自殺する」と思っているかもしれません。
しかし、うつ病の人は決して自殺はしません。うつ病とはやる気がなくなる病気です。当然死ぬ気もなくなります。人が自殺するのは躁状態の時であるということは、身内にそういう人がいない人でも覚えておく価値のあることだと思います。

それで、私の場合そういう顛末で薬への信頼も低下していたので、「薬に頼る」という選択肢も難しかったのです。まあ、それでも私があまり知らなかった「非定型精神病薬」(セロクエルやレスリン)とかを処方してもらったりしたので、少しは薬への信頼も回復したものの、それでもあまり信頼感はありませんでした。

こうなると医師を頼るか自分で悟るか、という世界になってきます。そして、私は毎晩自分を安心させるために、「死を受容」するようになっていきます。

明日、朝死んでいるかもしれない。苦しい思いをするかもしれない。でも、死なないかもしれない。だったら、考えるだけ無駄だ。

そういうようなことを考えていたように思います。

ま、主に入院して休んだことが回復の鍵だと思いますが、もちろん薬の効果や医師への信頼感・病院への信頼感、そして自分自身の「開き直り」が回復に関わっていると思います。

もちろん、退院して1年近くたった今でも完治したわけではありません。そもそも、「完治」なんてあり得ません。
「完治」があり得ないならそんなことを目指す必要もなくなります。いま、入院しているときに感じていた無力感・絶望感から解き放たれ、多少の制限はありますが自由に動くことができます。

この自由を、つまり「今」を、感謝の念で味わう、それが一日でも幸せに生きるためのコツであると感じています。