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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

霊感商法と虎の威を借る狐

霊感商法と言うものがかつて流行ったことがありました。

教祖のような人がいて、まあ適当な「あなたは祟られています!」とかいう予言みたいなことを言って、相談に来た人をビビらせて「でもこの『神聖なる壺』さえ買えばあなたの魂は浄化されます!」とか言って、ただの壺を高い値段で買わせると言った商売です。

上記の顛末を見て「ケシカラん商法だ!」と思う人は多いと思いますし、私も同じような商法をしようとは思いません。でも「騙された」と言って返金を求める人も「ダサい」んです。

米国などでは普通に返品が行われているそうで、ドレスを買って一日着て気に入らないからと返品したりするようなケースが普通にあるそうで(当然確信犯です)、だからドレスレンタル業が流行ったりするんでしょうねと言う気はします。

商法上、壺の売買は個人間の売買契約が成立している以上、壺の価格がいくらであっても有効です。「実質価格」に対して著しく高額な場合は贈与とみなされると言う話もありますが、実際問題壺や絵画と言ったものは値段があってないようなものですので、その辺も追求しにくいから素材として選ばれてるんでしょう。

いったん成立した契約を「効果がない」と言って返金を求めることを客観的に見ると、米国のドレス返品事件との違いが見当たらないと私は思うのですがどうでしょうか?

「魂を浄化」する方法であれば書店の自己啓発コーナーで瞑想本を買ってきて実践するのが一番です。「自分が自分以上でも自分以下でもない」と言うことがわかります。「祟られている」のもあなた自身の招いた災厄であり自分自身で受け止めればよいと言うことになります。これが「悟り」です。

しかし、多くの人は「自分が自分以上でも自分以下でもない」事を認められず、「虎の威を借りて」自我を肥大化させよう、という欲望に負け、壺を買うわけです。

つまり、自分自身への敗北です。しかし、自分自身を自分自身以上と思いたい人には、自分自身が敗北したという事実を認められません。結果、自分自身への敗北を他人への敗北へと転嫁したい欲求に駆られます。そして教祖への返金騒ぎへと発展するわけです。

だから、霊感商法で騙す人は「ケシカラん」のですけど、騙される人は「ダサい」んです。

「ダサい」人は自分が「ダサい」事を認めない限り、上にはいけません。

霊感商法はそれを考えるきっかけを与えてくれた、くらいに捉えられるようになって初めて「祟り」は解けるはずです。