隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

ホメオパシー批判がイケてない理由

私は、ホメオパシーを試したことがありません。従って、ホメオパシーのことをほとんど知りません。
なので、ホメオパシーを否定できる立場にも肯定できる立場にもありません。エバンジェリスト(伝道師)になるつもりも、ホメオパスになる予定もありません(笑)。

ただ、そういう治療選択肢もあるんだよ、ということをブログで述べたまでです。

一つ間違っていたと思うのは、近代医療に対して否定的な立場で書いた記事において、このことを述べてしまったことです。このため、「だいぶつは近代医療批判者でホメオパシーなどの代替医療の推進論者だ」という誤解を与えてしまったようです。

このことは、以前からきちんと否定してきたはずなのです。しかし、不思議なことにその後も否定的でない文脈で「ホメオパシー」という単語を用いただけで、なんだかわんさと釣られてしまう人が現れます。

あるいは、@chochonmage氏に「はてなブックマーク」でネガコメ(否定的なコメント)をされた結果、@chochonmage氏のシンパの方々はだいぶつを叩かないといけない、あるいは、叩いてもいい、と思ったのかもしれません。

たとえばlocast0138さんなのですが、この人はおもしろい人です。以前「バカ」といったのは取り消します。とてもまじめな人で、私にいろいろな考察をもたらしてくれます。これは事実です。「バッタもん日記」も大変おもしろいです。

彼が私に「アドバイス」してくれたことはたくさんあるのですが(その際要らない罵倒や誹謗をしてしまうのが彼の欠点でしょうがそれは置いておいて)、一義的には「ホメオパシーは科学的に否定されている」ということなのだと思います。
しかし、私としては「ああそうですか」としか言いようがありません。冒頭にも述べたとおり、私は否定派でも肯定派でもないのですから、一意見として聞く以上のことはできません。

たとえば、私が一時期愛読していた「異端医師の独り言(リー先生のブログ)」では「漢方はインチキである」ということが大まじめに述べられていました。私は、おもしろいことを言う先生だなと思い、ごらんの通りこのブログの「リンク」にも追加してあります。

私は漢方の効果は何となく実感しているので微妙に納得できない感はあるのですが、そういう意見を見聞きすることに不思議と抵抗はありません。

では、なぜ私は「ホメオパシー否定論」には抵抗を覚えてしまうのでしょうか?
それは、結局のところ、自分自身の力での否定ではないからでしょう。

たとえばlocast0138氏は「科学者でないものが科学を語るな」と言ったことをと述べています。一方、なぜか「ホメオパシー関係者でないのにホメオパシーを語るな」とは述べておられません。これは矛盾ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

また氏の主張「病人はネットをしてはいけない」も、偏見に満ちた意見に過ぎず科学的論拠が見あたりません。病人にとっていけないものであれば健康とされる人にとってもいけないものなのだから、廃止されてしかるべきです。

語義的に「ネット廃人」とかも病人だと思うんですけど、病人がネットをしてはいけないならネット廃人も存在しえない事になりますよね。「論理」を大上段にかざす人ほど、自分自身の主張をきちんと論理だてられていないと言うのは、ある一定の範囲においては事実のようです。

平たく言ってしまうと(誰かから見聞した知識で)「ホメオパシーなら叩いても安全」という意識を持っているのだろうと、それ以上でもそれ以下でもないと考えています。
同じ意味で「論敵が病気」と聞くとそれを攻撃材料に使うくらいしか想像力の働かない、乏しい知性と言うことなのかもしれません。
なので、ある程度の勢力があり叩くと危険な漢方とか鍼灸は叩かず、ホメオパシーは叩くのです。
まぁ、「自称論客」ごときがいくら叩こうとも、さほど影響はないんですが。

要するに「何かを叩いて優越感に浸りたい」という原始的な欲求がまずあり、その対象がホメオパシーになっているのだと考えるのが妥当であろうと想像いたします。