隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】液晶技術と医学と医療

読者のあなたがいま見つめておられるのはたぶん液晶ディスプレイだと思いますが、あなたが見つめているその液晶ディスプレイ、なんでいろいろな画像を表示できるのかをご存じでしょうか?

液晶と言うのはつまるところ「電気仕掛けのシャッター」で、後ろから照らした光(バックライト)を遮ったり、遮らなかったりして、画像を表示していると言うのは、知っている方も少なくないと思います。

しかし、私の疑問はなぜその「液晶」とやらが「極小の電気仕掛けのシャッター」として働くのか、と言う意味です。実は、最先端の科学をもってしても、その答えはわからないそうです。理論的な仮説はもちろんありますが、液晶は分子レベルで動作するため、その挙動の詳細な理論的裏付けは得られていないのです。

ある種の物質を「適当な割合で」混ぜ合わせると、「たまたま」シャッターのように働くことを誰かが発見して、それを工業的に利用しているのが液晶です。この「適当な割合」つまり「液晶のレシピ」が、液晶メーカーの基礎研究においてとても大切な分野なのですが、理論的裏付けが明確でないので「出たとこ勝負」のところがあります。

言葉を換えれば「数撃ちゃあたる」の世界を頑張っているわけです(これは、決して液晶技術者に対する悪口ではありません)。

一方で、もちろん液晶の基礎的な理論研究も行われています。これが完成すれば、あらゆる液晶を安価に大量生産できる可能性もあります。しかし、実際には「適当に混ぜ合わせて新しい奴を作る」方が現実的に新しい技術を開発するのにはリーズナブルなので、こちらが主流です。理論研究は難しく、当然「外れた」場合のリスクも桁違いに大きくなるわけで、自然とそういう方向に進むことになります。

もちろん、これからも基礎研究はじわじわと進んでいくことでしょう。しかし、それが完成するころには、液晶は過去の技術となっているかもしれません。

この関係は、「医療」と「医学」の関係と同じではないかと、温泉につかりながら思いました。

現在の、現実路線での液晶技術開発が「医療」、液晶の基礎理論研究が「医学」に相当します。

「医学」は論理的なアプローチです。長期的にはたくさんの患者の病気を治しますが、短期的には病気を治しません。少なくとも、今行われている最先端の医学研究が、あなたの病気の治療に役立つ可能性はほぼ皆無です。むしろ、治験などではかえって病状を悪化させることもまれではありません。

「医療」は非論理的なアプローチです。短期的には確実に病気の症状を和らげますが、「完治」は苦手ですし、理論体系の構築も不得手です。

で、上記の液晶のたとえ話を読むまでもなく「医療」と「医学」は相反するものではありません。むしろ、現在までに行われてきた「医療」の堆積から上澄みをくみ取ったものが「医学」となっています。「医学」は何もないところから生まれたものではなく、「医療の堆積」の礎によって立つと考えられます。

つまりは相補的な存在であるわけで、対立するのは人類にとって得策ではありません。

西洋医学の問題点は「西洋において行われてきた医療の堆積」に基礎を持っている、と言うことでしょう。これが外国から輸入されたものであることは明らかです。もちろん、外国のものであっても優れているものであれば見習うのは構いませんが、せっかく日本には日本の伝統的医療もあるわけですから、そのいい点を見習う必要があると言うのは正論なはずです。

たとえば、インドにはアーユルヴェーダという伝統医療が存在しますが、面白い事に「西洋医学の病院」と「アーユルヴェーダの病院」が混在し、その両者に差はないと言うことです。むろん、西洋人は西洋医学の病院にしかいきませんし、そちらの方が「上等」と思っているでしょうが。

もちろん、現存するすべての代替医療・伝統医療が過去の医療を正しく伝承しているかと言う問題点はあります。とはいうものの、少なくとも裾野を広げることに悪い点はないはずです。

そしていま現在、西洋医学と日本の伝統医療が正しい意味で融合されているのか、という質問に対する答えはおそらく「否」でしょう。@chochonmage氏は「そんなことは不要である」とTwitterで述べていましたが、私にはとてもそうは思えません。なぜ裾野を広げることが不要と言う結論に至るのか、@chochonmage氏とのTwitterでのやり取りでは私には理解できませんでした。

そこで私は勝手に想像するのですが、西洋医学には多分にキリスト教的な世界観が付きまとっているのがその原因ではないかと思います。平たく言うと「正邪の対立構図」がキリスト教的世界観です。西洋医学においては「病気」=「悪魔」とされます。悪魔を祓う「神」が「(西洋)医学」です。西洋医学の世界観では「西洋医学」は「神の力」になるものですので、その批判や否定などは許されないのかもしれないと言うのが私の結論です。

でも、ニーチェが「神は死んだ」と言ってからいったい何年経つのでしょうか。

医療の裾野を広げる=伝統医療の研究およびその正当な評価。これがひいては「医学」の発展にも役立つことには全く疑問の余地がありません。

現在は評価段階であり、「伝統医療が間違っているか否か」を調べることが目的ではありません。「伝統医療に最先端医療が参考とすべき点はないか」と言うことを調べることこそが真の目的です。

そういう努力を行っている団体に対し、揚げ足取りとも言えるようなコメントがなされることは、私から見ると「キリスト教的世界観」=「正邪の対立構図」に縛られているとしか思えないのです。