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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

「能ある鷹は爪を隠す」

最近の若い人だとあまり知らない人も多いかもしれませんが「能ある鷹は爪を隠す」という諺(ことわざ)をご存じでしょうか。

能のある(賢い)鷹は、獲物を捕えるときに「爪」を隠して近づく。本当に能力のある人は、それをひけらかしたりはしない。という意味です。

これは、昔の小学校では「出る杭は打たれる」と言うのとほぼ同じ意味で用いられていました。

昔は(今でもそうなのかもしれないですが)日本の学校教育と言うのは「横並び」「平均主義」と揶揄されるやり方で、特別できる子も、特別できない子もいなくすると言う方針に基づいて行われてきました。

私はよく女教師に「能ある鷹は爪を隠すものよ」と言われていたのですが、これを私は「私には能がある(賢い)」と理解していたのですが、どうやら女教師の本意はどちらかと言えば後者、つまり「爪を隠せ」というところにあったと言うことが最近わかりました。

よく百科事典なんかで読んだ知識を、授業に関係もないのにひけらかしたりしていたので、(授業についていけない子が攪乱されることに配慮して)私にクギを刺していたのでしょう。

能があろうとなかろうと、横並び教育の邪魔しちゃイヤよっていうことです。「出る杭は打たれる」の方が適切な気もしますが、「能ある鷹は爪隠す」のほうが私の気持ちを傷つけないと思ったのでしょうね。

もともと、私はへそ曲がりだったので「爪を隠す」気はさほどなかったのですが、でもやはり毎日のように言われているうちに潜在意識下に組み込まれてしまったのでしょう。有能をひけらかす事に対してためらいのような感情をいつしか抱くようになってしまいました。

しかし、気がついてみると「隠している気でいた爪」が実はそんなに大したことがないと言うことに、最近ようやく気付いたというわけです。それがこのブログ名「隠すほどの爪なら無い」の由来です。

そういう意味では、もう何年か後に生まれた世代(ホリエモンとか家入一真とか)がうらやましい気がしないではないのですが、まあそんなことを書きたくてこの諺を取り上げたわけではありません。

爪を隠す必要などないと言うことが言いたかったのです。

「隠すほどの爪なら無い」のは私自身の事なのですが、みんな同じキャッチフレーズで行動すればいいのだと思っています。爪を隠していいことなど、ないからです。

人は、自分が思っているほどあなたを過大評価していないし、過小評価もしていないものです。どんどん「爪を出して」行けばいいと言うことです。

さすがに、素性までは明かせませんが、私も精神科入院歴などを堂々と書いているのはそういうことです。今の私にとっては、それすら「爪」なのです。

最近では「オンリーワン採用」とかで、大企業でも「尖った人材」を求める傾向が高まっていると聞きます。実力を隠すメリットは、どんどん下がっているのではないでしょうか。

逆に、いままでは通用した「実力以上に自分を見せるパフォーマンス」があまり通用しなくなってきていると言うことでしょう。なおさら「爪を隠す」必要などないのです。

のびのびと自由に生きてゆきましょう。