さて、私が内科医NATROM氏のブログ記事に対してもの申したところを見て、私のことを救いようがないとlocust0138氏が申しておりました。
まあ、議論の勝ち負けなどに私は興味はないのですが、そういうことを書くとまた負け惜しみみたいに言われるので書きません。
おっしゃる通り、私は救いようがない人間であると申し上げておきましょう。
では翻って、locust0138氏は「救いようがある」ないしは「救われた」人間なのでしょうか?
これは、自問自答していただけば分かることなんですが、「救われた」人間などいませんし、「救いようがある」とも思えません。
そもそも、人間というのは「死亡率100%」の救いようがない存在であり、自分が救われる、ないしは救いようがあるというのは単なる勘違いです。
それを「救いようがある」と勘違いしていることが、種々の苦しみを産む要因であると知るべきです。
その勘違いを「宗教」と呼んでいる人もいます。
たとえば、後数年もすれば「だいぶつ」の存在など忘れてしまうだろうと豪語していたlocust0138氏は、いまだ私に粘着しています。この調子でいけば、数年後も粘着しているかもしれません。
この状態は他者から見れば十分「救いがたい」状態です。
こういう事実には、ご本人にも早めに気づいてほしいものと思っております。
その方が、人生が楽しくなりますから。