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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

疑似科学の必要性

ちゃんと勉強している人にとってはいまさらな話なのですけど、最近こういう認識に欠けている人が無分別に宗教やオカルトをこき下ろしているのを見るにつけ、書いておかないといけないと思って書きます。

ここで4人に出場してもらいます。

1)科学

2)宗教・哲学

3)オカルト

4)疑似科学

私の感覚的には、今の世論はこのようになっています。

1)>>>>>2)>>3)>4)

しかし本当はこうです。

1)=2)=3)=4)

1)と2)と3)が同じ理由は簡単な話なんですけど、いずれも自然を対象にした自己無矛盾な体系であるということです。
UFOも超能力も、それが実際に起こったのであれば「自然」であり、それを対象として研究することは「オカルト」ですが「自然科学」と本質的に変わりません。
宗教・哲学は「自分自身」ないし「こころ」といった「自然」を扱うものであり、やはり「科学」に分類されるものです。

この辺までは割と異論はないと思います。

4)疑似科学は「科学のように見えるけど、実は違う」と言うもので、一般的には「自己矛盾」を内包している理論が「疑似科学」と言われます。たとえば永久機関のように、明らかにエネルギー保存則に反しているのですが、理論は物理学の借り物、それに手心を加えて無理やり成立したように見せかけているものです。近代物理学の理論を借りるなら、エネルギー保存則を破る理論が必要となります。このような理論的裏付けなしに既存の物理学などの科学体系を破ったと言ってしまうような行為を指して疑似科学と言います。

「科学的な態度」を取れば、このような「疑似科学」なんて存在しない方がいいように思えるかもしれません。しかし、どのような科学ももとは疑似科学だったのです。

たとえば、ニュートン力学は「宇宙の始まりに神様が大きなぜんまい時計を巻いて、神の力で物質に運動量を与えた」と言う前提で成立しています。神の存在を仮定しているのだから、本質的には疑似科学と変わりがありません。

アインシュタインが時間と空間の相対性を理論化することに成功し、理論からは「神」が消え去りました。しかし「光速度不変の原理」と言った新たな仮定(では光の速度を決めているのは誰?)が必要となりました。

現代でいえば量子力学なども、仮説部分が多い疑似科学なのです。アインシュタインは最後まで「神はサイコロを振らない」と量子力学には反発的でした。ニュートン力学から神を取り除いた張本人が、最後に神を持ち出すあたりは大変面白いと思います。

要は「役に立つから」科学であると、そういう功利的な側面が徐々に芽生え始めてきました。

その最たるものがアメリカの原爆開発「マンハッタン計画」でしょう。量子力学の大家たちが、アメリカに召集され(ヨーロッパからの亡命も兼ねてでしょうが)原爆開発に加担しました。中には大変後悔している人もいるようです。アインシュタイン自身は開発に直接関与していませんが、自分の理論がもとでそういう大量殺戮兵器が作られてしまったことにたいそう心を痛めていたと聞きます。

そして現代。ズバリ、声高に「科学」を標榜する人は「金の奴隷」になり下がっているのだと思います。

ことさらに疑似科学を貶め、その中に新たな着想の種があると言うことなど考えもしません。大学の研究費をいかに獲得するか。そのためには、本当の先鋭的な研究をするのではなく、政治的な動きがメインになっていきます。
ホメオパシーをまじめに研究する研究者になんて誰も研究費をくれないでしょう。

なぜ東京大学卒業の南部陽一郎先生が、いまアメリカ国民なのでしょうか。東京大学で教鞭を振るっていてしかるべき逸材が、なぜ国外流出してしまったのでしょうか。「科学」の本質を見ず「金の奴隷」になり下がってしまった同僚たちを見るにつけ、嫌気がさしてしまったのではないだろうかと言うのは、私の単なる憶測なのでしょうか。

たとえば大学の強みは中央と強いパイプを持ち国のお金を引っ張ってこれる、そこにあるのであって、純然たる知的好奇心はそこではむしろ邪険に扱われてしまうのではないかと想像します。

ニュートンが晩年、錬金術と占星術の研究にハマっていたと言うのは、あまり知られていない事実です。疑似科学を疑似科学と言うだけで批判する精神性は、真の純然たる知的好奇心とはむしろ対極にあるのではないかと、最近は思います。