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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

人生、適当。

もう、歳を取ると何がなんだかよくわからなくなってきて、人生が適当になってきます。

小さい子供がいたりすると特にそうなります。

でも、適当でもいいと思います。むしろ、適当に生きていても死なないと言うのが重要なんであって、必死こいてハァハァ言いながらでないと生きていけないっていうのは、どっか無駄な力を使ってるわけです。

あるいはもう、その人にとっては生きることそのものが不自然なわけです。

生きていることが不自然な人を生かし続けるっていうのは、どんなもんでしょうかいな?

自分自身を高めるための努力にしても、それが本当に必要な事ならハァハァいわなくても自然と身につきますって。「俺様、努力してまっす!」とか言いながらする努力なんて、偽物です。

イチロー選手とかだと、練習がライフワークになってるそうですし。語弊があるかもしれないけど、それがイチロー選手の「適当」なのです。

何をするにしても、適当が一番楽だし一番効率もいい生き方なわけです。

無理せず、ゆる~く、気持ちよく。

あなたは誰に洗脳されたのでしょうか?背筋はピシッと伸ばせ、深く息を吸いこめ、電車に乗り遅れそうになったら全力で走れ、仕事中は寝るな。さて、それらの動作はあなたにとって楽ですか?

それは「過去の誰か」にとっては楽で気持ちのいいことだったかもしれませんが、あなた自身にとってもそうとは限りません。自分自身で判定しましょう。

自分が一番楽になるように動けばいいのです(楽になる=だらけるとは限りませんが)。

まあ、皆がそれが出来るようになったら病院や整体屋さんは商売あがったりでしょうけど。

何十年も仕事を続けてきた職人は「仕事をしない状態がつらい」と言います。つまり、仕事をしている方が「楽」なわけです。

私自身は、誤った知識等によっていろいろ振り回されてきたわけですけど、最近ようやくこういったことに気がつくようになりました。

これを気付くのに40余年を要したわけですけど、これくらいが一般的なのかな。

40にして惑わずとはよくいったものですね。