隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】標準医療とインチキ医療の境界線

さて、例によって標準医療派の方とはなかなか分かりあえないという事態が続いているわけですが、その原因の一つとして「標準医療」と言うものの定義が明確になされていないと言うことがあると思いますので、今日はそのことについて考えてみます。

標準医療派の方の多くは、たいてい極端な例を引用します。たとえば、教祖の血を飲んだりとか、適合しない血液型を輸血したりとか、そういう話をです。そして聴衆は「そりゃ、アカンよな」と当然に連想すると思います。しかし冷静に考えてみればコレ、ひとつの論法なのです。「インチキ医療」に分類されるひとつの例に対して聴衆に嫌悪感を抱かせたにすぎず、「その療法がインチキ医療に分類されること」を全く証明していません。

前使った言葉を再利用するなら「印象論的情報操作」と言うことになります。

論理的、と言って語弊があるなら科学哲学的に考察すると、「インチキ医療」に分類されるひとつの例に対して聴衆が嫌悪感を抱いたからと言って、当然「インチキ医療」すべてが否定されるわけではありませんし、自分の気に入らない医療(類似)行為をすべて否定できるかと言うと当然違います。しかし、そもそも彼らの狙いは「おしっこ飲んだりそんなの嫌でしょう?」と、「インチキ医療」と言うものに対する嫌悪感を煽るのことなわけですから(私は胃カメラ飲むくらいならおしっこ飲みますが)論理的な整合性はどうでもいいわけです。

ただ、私は別にこのようなやり方を否定するものではありません。その根源にあるものが、人間存在と言うものに対する深い愛なのであれば、やり方はどうでもいいと思います。

しかし、彼らから感じられるのは「標準医療」、もっと言うと「医療利権」に対する執着です。「人間愛」が根源にあるのであれば、たとえ一人の患者でも救える「インチキ医療」であればことさらに貶める必要はありません。なぜそれをことさらに貶めるのかと言うと、そこにはアドラー心理学でいうところの権威欲と言うものが見え隠れします。

つまりは、医師と言う権威をもって人を見下したい。そういう権威欲が彼らをそうさせているのではないかと考えます。そのように自己を省みることができないと言う点をもってみても、巷間に聞く「医師は心理学には疎い」と言うことはどうやら事実であるように感じられます。

私は最近、「標準医療」やら「インチキ医療」やら「代替医療」と言うものに関しては、そういう権威欲を満足させるために彼らが脳内で捏造したものに過ぎない気がしています。前にも似たようなことを書きましたが、その境界はしごく曖昧です。最初「インチキ医療」とされていたものが試してみたら効いて、いつの間にやら「標準医療」になっていると言うことも過去いくつもあったと思います。

医業と言うのは本来困っている人を助けるためのものである、ということをぜひ思い出してほしいものだと思います。