隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】モンスターペイシエントは医療を発展させるか?

医療ミスに対して患者が医療訴訟を起こすことは、最近となっては珍しいことではなくなってきているように思います。

医師の中に、このような医療訴訟を積極的に認めることが医療の発展に寄与すると言うような考え方をしている人がいると言うのは、私にとっては驚きでした。

もちろん、現代医療の暗部として医療ミスの隠ぺい工作みたいなものもたぶんあるのでしょうし、密室で行われる医療現場における「殺人」等に関しては取り締まることが難しいのは事実でしょう。

とはいうものの、モンスターペイシエントのごとき「自称・医療被害者」が増大することが、医療の発展に寄与することは決してないと私は思います。

統合医療では自分の病気を治すのは自分自身であると言うことを認識することが治療の第一歩になります。

被害者意識は、もっとも取り払わなければならないものです。そもそも、病気になったのは自分自身の普段の行動の集積であって、もとより誰のせいでもありません。怪我にしても、元をたどれば原因は自分にあります。

統合医療において、医師は精密機器を修理する修理工のような「技師」ではなく、患者に対して「指導者」となるべき存在です。そこでは、生活習慣を含めた指導や、体の使い方のレクチャーのような、「知恵」の伝授がなされるべきです。

さて、モンスターペイシエントはこの有り様にどう影響を与えるでしょうか?私が推測する限りでは、「医業の委縮」と「限定化」のバイアスとして働くと思います。

つまり、訴訟リスクを避けるために「明確にエビデンスのある医療以外は行わない」、根拠のない「知恵の伝授のようなことも行わない」という、私の考える医療のあるべき方向(統合医療)から遠ざからされることになります。

実は、現在病院で行われている医療は、既にこのような影響を受けているのではないだろうか?と思います。

私は、EBM(証拠に基づく医療)というのは、決して「訴訟リスクを下げるため」にあるものではないと思います。冒頭で「医療裁判上等」と言った医師は、一見いさぎよく見えますが、実は「自分は訴訟リスクの高い治療なんてしないから大丈夫」とタカをくくっているだけなのかもしれません。

タイトルに戻りまして、珍しく結論。

モンスターペイシエントは本来の意味の医療(=統合医療)の発展は阻害しますが、限定化・訴訟リスク低減・利権温存思考の既存医療にとっては、発展材料かもしれません。

IT機器に見られるようなコモディティ化のような現象が、日本の医療業界でも起きているのでしょう。