隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】真の「個別化医療」とは

NATROMの日記

標準医療は画一的で、代替医療は個別的という誤解
タイトルを読めば中身を読まなくてもだいたい言いたいことは分かりますが、私が中身を読んだ限り、やはり想像どおりでした。つまり、「標準医療も個別化医療を行っている」むしろ「標準医療こそ個別化医療が進んでいて、代替医療には画一医療のものも散見される」と言いたいのでしょう。

で、ここにある誤解の背景には「個別化医療」と言う言葉に対する理解の違いというものがあげられます。つまり、NATROM氏が挙げられている「個別化医療」とは、すなわち「取る手段を個人に応じて変化させる」と言うことを意味しています。たとえば、テレビが映らなくなったら斜めチョップすれば治ることがありますが(そんな昔の話は知らない?)斜め45度でチョップするか、斜め30度でチョップするか、微妙に角度の加減があります。それで治ったり治らなかったりしますが、ひとまずチョップすることに変わりはないわけです。

人体の治療も言ってしまえば全く同じ話で、何らかの外的刺激を与えることによって内的な働きを抑制ないしは増長させて治癒を導くと言う点に、標準医療も代替医療も何ら変わりがありません。その「刺激の与え方」が異なるだけです。

ここで上記の「テレビを斜めチョップする話」なのですが、同じテレビなのに角度が違うと治りません。なぜかと言うと(正確には良くわからないのですが)ホコリのたまっている角度とか、まあいろいろな因子があってこれがまあいわゆる「複雑系」「システム論」的な状況になっているので、多分科学的に解明するのはとても難しいと思うのですが、経験則的に「いい加減な角度」のチョップができるように人間はなっていくようになっています。

この「いい加減」というのがとんでもなく重要で、これが人間を人間たらしめていると言っても過言ではないと思うのですが、機械にはこの「いい加減」と言うのが分かりません。で、私の考えるところによると究極的には壊れたテレビと病人と言うのは同じものなんだと言うことです。

論理科学的アプローチで病人を直すというアプローチは上記の例で言うならチョップの角度の研究にあたります。45度が一番治った率が高かった、という統計的データを蓄えて角度やスピード・パワーを研究するのが西洋医学(標準医療)に当たると思います。

しかし、そんなデータを取らなくてもわしは一発でテレビを治せると言う人がいます。同様に、数は少ないですが人体も同様に治せてしまう人(ヒーラー)と言うのが、実は一定の割合で存在するようです。

ただ、このヒーラーの持っている情報(知恵、ないし気の力のようなもの)と言うのは文書などで蓄えることが極めて難しい性質をもっています。たとえば、中村天風は哲学家・ヨガ行者としては良く知られていますがヒーラーでもありました。ただ、自身の哲学を実践することによりそもそも病にならない心身を養う事を潔しとしていた天風は、あまりそのヒーリング技術を遺すと言うことに熱心ではありませんでした。

たとえば研心抄・錬身抄と言った本にそのようなノウハウが散見されますが、万人に適用することを考えたものとは言い難いです。

野口晴哉や橋本敬三と言ったヒーラーはそういうノウハウを伝承しようと尽力した人たちですが、いずれも「コツ」をつかむのには相応の修業が必要となりますし、また修行したとしてもなれるという保証がありません。これは、一定の学力と資力さえあれば6年間で必ず成れてしまう医師とはかなり性質的に異なると言えるでしょう。

で、多分統合医療的な文脈で言うところの「個別化医療」と言うのは、まず医療者が自分自身の「個」を深く知るところから始まるのだと思います。これは、以前も書きましたが「治療者」-「被治療者」という一種の「場」が治療時に形成され、それはその2名の「個」から成立しているものだからです。

だから、患者の「個」さえ知れば個別化治療に事足れりとする観点が、重要な点を見落としているのではないかと思います。

もっとも、そのような知見が一般的になれば、大半の医師は「医療者」として不適格となってしまうかもしれませんが…。