以前、NATROM氏とのやりとりで「標準医療はマニュアル医療ですか?」との問いに氏ははぐらかした回答しかくれませんでした。
私は割と真剣に聞いていたのでちゃんと答えをもらえなかったのは残念だったのですが、その後自分なりに考察した結果、標準医療はマニュアル医療でなければ意味がないという結論に達しました。
NATROM氏は「標準医療はマニュアル医療ではない」というのですが、彼のイメージしているマニュアル医療というものは私のイメージしているマニュアル医療というものとずいぶん違うもののように感じます。
あらゆる病気や症状をデータベース化し、過去の治療例などのデーターベースや患者の特性に合わせた適切な治療手段を選択するというのがつまり私の考えるマニュアル医療です。もっと言えばデータベース医療と言ってもいいかもしれません。これは、NATROM氏が提唱している「標準医療」のイメージと何ら変わるところがないと思います。
これを、このデータベースに存在しない治療法をいきなり試したりするのは、氏の言うところの「トンデモ医療」と言うことになってしまうのだと思います。
「標準医療」=「マニュアル医療」≠「トンデモ医療」
マニュアル医療という言葉を聞いて、たぶん私と同年代のNATROM氏はかつて言われた「マニュアル恋愛」でも思い浮かべたのでしょうか。恋愛と医療は似たところがあります。それで反射的に否定してしまったのでしょうか。
しかしきちんとしたマニュアルに乗っ取ったきちんとした恋愛をするのであれば、たぶんうまくいく例も多く出てくるのではないのでしょうか。巷間ではマニュアル恋愛がダサいと言われましたが、それはちゃんとマニュアル通りにできていないからで、マニュアル通りにきちんとできるのであれば失敗はしないはずです。
失敗例だけがエキセントリックに取り上げられたためネガティブなイメージが持たれがちですが、マニュアル恋愛でうまくいった例も枚挙にいとまがないはずなのです。
もちろん、マニュアルに載っていないシーンも当然出てくるでしょう。そこは「臨機応変」で乗り切ります。「臨機応変」がうまくいかなくなれば、その恋愛はコケます。でもそれは「マニュアル恋愛」がダメだったのではなく、「臨機応変」の部分がうまくいかなかったのが原因ではないでしょうか。マニュアル部分はうまくいっていたはずなのです。
ここで、恋愛を反省するときに2つのアプローチがあります。
1)マニュアルに載っていなかった部分もマニュアルに載せていき、充実させていく。臨機応変の必要なシーンを減らしていく。
2)臨機応変に対応できるように臨機応変力を高める。
ここで、私のイメージでは1)のアプローチで医療を極めようとするのが標準医療であれば、2)のアプローチで医療を極めようとするのが統合医療です。
このように、私は医療のマニュアル化・データベース化を必ずしも否定するものではありません。
しかし、どのようなデートも完璧にマニュアル通りと言うことが起こらない以上、臨機応変力は当然必要になってきます。それを養うことを潔しとせず、あまつさえ不要としてしまう態度に対して警鐘を鳴らしたいだけなのです。