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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

頭で考えている人は畏れるに足りない

今まで様々な人と意見を交わしてきましたが、最近思うのは表題のようなことです。

NATROMさんやlocust0138さん、chochonmageさんなど、さまざまな論客と闘ってきましたが、正直な感想を書かせてもらえれば、頭で考えている人は畏れるに足りないのです。

橋下徹大阪市長の著書にも書いてあると聞きましたが、議論で勝つコツは理屈じゃないのです。ひとつには「ハッタリ」でしょう。

locust0138さんは私にメールアドレスをさらすことすら恐れていましたが、多分直接会って話したらあのネット上の雄弁さはまるで感じられず、きっと「本人か?」と思うことだと思います。ハッタリが圧倒的に足りません。

本当に怖いのは、感情や感覚や直感で考えてくる人です。これらの機能が極めて発達した人に、私は勝てる気がまるでしません。

そもそも、論理機能に偏っている私の頭脳では、「感情」に振り回されたり「感覚」がわいてきたり「直感」が降ってきたりと言うことは想像できても、それらで「考える」などと言うことは想像もつきません。

そういう能力を極めた人と言うのは、運慶・快慶じゃないですけど木の塊を見て「私が仏像を彫るのではない、木にもともと入っている仏像を取り出すだけだ」と言うような心境に至るそうです。

人間の心理機能と言うのは、以前も書いた通り論理・感情・感覚・直感の4機能と外向・内向の2態度の組み合わせで構成されています。これらは全く同列にあるものであり、論理が感情に比べて勝っているとか、直感が感覚に比べて勝っていると言う事はありません。

なので「頭」=「論理」ですべてを考え切れる、と考えている人が究極的に正しい真理にたどり着くことは永久に無いので、畏れるに足りないわけです。第一、論理で考える程度の事なら私にだってできるわけですから、議論の余地がありません。

これはmedtoolzの本館の名記事「ドーナツの中心を指差す仕事」のアンチテーゼのように見えますが、ほぼ同じ内容を言っているつもりです。

上記の記事を読んで「代替医療批判」と受け取っている人が一部にいるようですが、誤読も甚だしいと思います。この記事が同様に「病院における医療(=標準医療)」も批判していると言うことが、なぜわからないのか不思議です。

ここでドーナツの中心を指差す仕事を根絶するためには、医療に対し報酬を受ける事を禁止する意外に無い、と言う私が以前上げたテーゼに回帰します。

古来、Dr.コトーじゃありませんけど町医者が無料で診療するというのは良くあった事でしょう。

まあ、それを制度化するなんてことは現実的には無理だろうし、制度化したんじゃ意味もないとわかっているわけですけど、哲学的思考と言うのはそういうものなんです。