隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

弁護士に期待すべきもの

弁護士とお話をしたことは数えるほどしかないのですが、特に自分が被害者の立場で話をしたのは今年2月に記事にした「弁護士特約を初めて使いました」の件だけです。

正直、自分は論理的思考能力に関しては人後に落ちないと自負しているので、訴訟を起こす程度のことであればちょっと勉強すれば簡単にできると思っていました。完勝できないまでもひと泡吹かせるくらいのことはできる自信をもっていました。

しかし、ちょっとだけ勉強したところ、いろんなハードルがあり一定限度を超えると本人訴訟は労力ばかりかかる割に勝てる確率が下がり、極めて割が悪いということが分かりました。

たとえば、裁判所は確実に弁護士委任を希望します。相手が弁護士委任しているのに、本人で応訴(訴訟を受ける)しようとすると、とても嫌がります。

これを拒んで本人で応訴すると、裁判所は余分な手間を負わされることになるため、裁判官の「心証」つまり裁判の勝ち負けに影響します。強行すると、裁判官が本人訴訟側の陳述を制止する(しゃべらせてもらえなくなる)ことすらあるそうです。

本人側の提出した書証(書面状になっている証拠)も、採用されない可能性が高くなります。

なぜかというと、「裁判所はとても忙しいので、余分なことを聞いている暇はない」ということになります。弁護士は資格をもっているうえ弁護士法と言う法律で縛られているので、言うことの信ぴょう性が高いと判断されるのです。

つまり、ひとことで言えば「ハッタリがある」のです。

相手が弁護士でも事実に争いがない場合は、本人でも問題ないことがあります。まあ、この場合弁護士は敗訴を嫌うので、おおむね受けてくれないはずです。たとえば手形裁判では事実の争いの余地が極めて薄いので、弁護士が受任することはありません。驚くべきことに、手形詐欺でも同じなのです。

事実に争いがないというのは、相手もこちらも同じことを言っている場合です。違うことを言っている場合「事実に争いがある」となります。

事実に争いがある場合、双方に決定的な証拠がなければ弁護士が主張している側の信ぴょう性が高いとされます。これをひっくり返すには客観的な証拠を裁判所に提出し採用してもらうことが必要となります。

とはいえ、裁判官と言っても人の子ですし、もっと言うと弁護士と同じ「法曹界の人間」です。無意識のうちに、同族を優越と判断することは、これまでの裁判例を見ても否めない事実です。平たく言うと、だれしも親戚の言っていることと他人の言っていること、どちらが正しそうに感じるかというと親戚のほうだと思います。それと同じ理屈で、裁判官は資格のない個人よりも同じ「法曹界の住人」である弁護士の言っていることに「正しそう」という印象を抱くのです。

この印象がつまり「心証」となり、結果判決に影響を及ぼします。したがって、相当な客観的証拠がないと本人訴訟では弁護士に決して勝てません。またそんな訴訟を引き受ける弁護士はあまりいませんので、なおさら弁護士のほうが正しそうという印象が強くなる悪循環?になります。

陳述も証拠も、個人が提出したものは認められにくいのです。結局、弁護士と言う「プロキシー」を通すことで証拠の信ぴょう性を高めようということなのです。

つまり、相手の弁護士がアホであなたが賢くても、決定的な証拠がない限り裁判官は弁護士の言うことを信用するのです。

この事実を知らない限り、あなたが弁護士資格をもたないのであれば、どんなに賢くても弁護士に勝てることは決してありません。

というのが、ここ数日の民事訴訟法の学習の成果です(笑)。