隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

パンドラの箱の底に「希望」が残っていた理由

ギリシャ神話かなんだかでパンドラの箱ってのがあって、それまで世の中には災厄が何もなくパラダイスだったそうなんですけど、パンドラが災厄の箱のふたを開けてしまったので世の中には災厄がばらまかれ、それ以来災厄が起きるようになったと言う話です。

まったくはた迷惑な話だぜパンドラよ!

その話の最後に「しかしパンドラの箱の底には『希望』が残っていた」と言う話でした。

私の愛読していたARMSと言うマンガでは、サミュエル博士が「希望が人類にとって最大の災厄だったからだ」と説明していたので、そのころはなんとなく納得してしまいました。

それを体感したのはトレードをしていたころです。たとえばある株が上がると思って買って、下げ出したとします。私の師匠はここですぐに損切りをするように指導してくれました。しかし多くの人は損切りができないのです。基本的なトレード技術なので書いても問題ないと思うのですが、端的に言うと「損切りのできないトレーダーはヘタクソ」です。

上手なトレーダーは、必ず損切りポイントを定めています。ある一定を割り込んだら、機械的にポジションをクローズします。その理由は本題からそれますので、書きません。

で、損切りをしない人がなぜ損切りをしないかと言うと「また上げるかも」という「希望」があるためです。まさに、「希望」によって自らを災厄(資産の喪失)に追い込んでしまうのです。しかし、「希望」でトレードするのはギャンブルなのです。「予想」でトレードする限り、仮に負けてもそれは「トレード」です。

「希望」こそ、人を破滅に追い込む最大の災厄と言うのは、ある意味正しいと実感をもって理解できます。

「カイジ」にも「人は、絶望では死地に飛び込まない。希望によって、死地に自ら飛び込む」と言うような言い回しがありました。

中村天風の哲学で考えたら、はて、どうなんだろうと考えてみました。すると、天風翁もやはり「希望」はもっていなかったのです。翁は著書ではっきり書いていますが、「神仏のごときものは、存在しないが、仮に存在したとして、私の眼前に現れたとする。あなた方であれば、たくさん金をくれとか、足を延ばしてくれだと言う願いをするかもしれないが、私は、何の願いもしないのである。むしろ、このすべてを全うできる心身を与えてくれたことに感謝し、お礼を述べる。自分のしたいことはすべてかなえられる心身が既に与えられているのだから、何も望むべきことはない」と書いています。

希望も絶望もない、そこにはハッキリとした「意思」の力のみが感じ取れます。

これこそが人間のあるべき姿だと思います。

でも、なかなか難しいんですけどね・・・。