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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

盲目のピアニストに「目が見えたら?」と質問し顰蹙

全然ニュースじゃないのですが、この話題は気になっていました。

産まれつきの全盲であるピアニストの辻井伸行さんが有名な賞を受賞したときの記者会見で、テレ朝の記者が「もし1日目が見えるなら何を見たいですか?」みたいなことを質問したと言うアレです。

辻井伸行さんは「両親の顔を見てみたいです。」「でも心の目が見えてるので大丈夫です」って答えたそうです。

この質疑には誰もが違和感を感じると思いますが、私も感じました。

ただ、その違和感の正体がよくわからなかったので今まで特に何も書いてこなかったのですが、そこはいまさら感がウリのこのブログです。構わず書いてしまいます。

産まれつき目が見えないと言う事は、つまり「見える」と言うことがどういう事かをまったく想像できないと言うことを意味します。

たとえばあなたにはしっぽがありません(もししっぽがあったらサイヤ人なので、満月には気をつけてください)。なので、「しっぽを踏みつけられたらどんな感じがするか?」想像しようとしても、ちょっと難しくありませんか。

何らかのものを想像することは可能ですが、それが実際にしっぽがついていた時の感覚と同じかどうかの検証は不可能です。

つまり、想像することは不可能なのです。本来であれば「見えると言うことがどういうことなのかが分かりません」としか答えようがないんですけど、あの質疑そのものに台本があったのかもしれませんね。

仮に何かを想像したとしても、それが現実に「目が見える」ことと同じかどうかは検証できないわけですから。

そのような質問をするのであれば、まず自分が「産まれつき全盲だったらどんなだろう?」と自問するところから始めるべきでしょう。「想像できない」はずなんですけど。(もし想像できたらあなたは神の生まれ変わりかもしれません!)

この問答からは「相手の立場を思いやる」という障害者支援の本来あるべき姿とは正反対の方向性が漂ってきます。相手を見下すところから始まっています。

ま、24時間テレビと同じ構図ですが、世界的ピアニストを相手に同じことをやるんかと。なめとるんかと。

そこが、違和感の感じどころなんでしょうね。