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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】厄の概念について

私は今年ようやく厄が明けます(ああ、歳がばれる)。

男の本厄は数えの43歳、つまり満42歳になる年です。

正月から厄に入るのですが、この場合の正月は旧正月(今でいう節分のころ)です。

旧正月は現在の太陽暦(グレゴリオ暦)ではなく太陰暦でカウントしないといけないので、太陽暦で何月何日にあたるかは毎年変化します。まあだいたい1月下旬~2月初旬と思っておけばいいと思います(という私も正確には知らなかったりして)。

厄年には前後賞がついていて、前の年は前厄、あとの年は後厄で合計3年間も厄に入ります。つまり満41歳になる都市の2月頃~満43歳になる年の2月頃

私は厄年を信じています。

というか、私は何でも信じてしまいます。

というか、私は何でも信じてその先に何があるかを知りたいのだと思います。

イソップ寓話に出てくる「あのブドウは酸っぱい」といってブドウをあきらめたキツネになりたくない、って感じでしょうか。

鰯の頭も信心からと言いますが、それと同じ感じでしょう。

生きると言うか、産まれるってそういう事じゃないのかなぁって思うんですけどね。

何かをしようとして不安で躊躇してしまっている人に聞きます。

ではなんであなたは産まれてきたの?

なんでかわからないかもしれません。でも、ではこう考えられませんか。産まれたらどうなるかを知りたがったからあなたは産まれてきたのだと。

私の場合、実際厄年で死にかけたので信じるも信じないもないのですけど、考え方としてはアリだと思っています。

これに対して「厄年は人生50年の時代に考えられたものだから云々」という反論をする人がときどきいてビックリします。

正確にはこれは反論になっていませんので「意見」とします。

これは「では人生50年の時代には厄年は機能していたか」「人生が延びたら厄年は無効になったのか、そしてその根拠は」という議論がまったく取り沙汰されていません。論理的に欠陥だらけの意見です。

同じ考え方で行くと七五三とかにも反論しなければならないのです。もちろん1ヶ月の宮参りとか100ヵ日の食い初めとかも同じですね。

これならまだ「厄年など非科学的でナンセンス、中年以降の疾病率が向上するのは当然」とでも反論された方がスッキリしています。

単なる節目的な行事を科学的に否定しようとしても無理です。

現代医療でも中年以降は疾病率が上がるとされています。

厄年前後に体に気をつける、厄祓いに行く(行って気を引き締める)ことが、全くの無用だと言う論客がもし現れたら、私はそれを真っ向から否定するつもりです。