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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

答えが出ない問題を答えが出ないままにしておけない人たち

はてさて、賃貸 vs 分譲 だとか、自然分娩派 vs 人工分娩容認派 だとか 脳死臓器移植受容派 vs 否定派とか、死刑容認派 vs 否定派とか、まあ世の中には色々と結論の出ない問題がたくさんあります。

答えが出ない問題は答えが出ないまま、放っておくしかないわけですけど、実はこの答えが出ない問題を放っておくことができない人たちがいます。

本当に悟れば放っておくと言うことになるようなんですけど、なかなか、われわれ俗人には難しいようです。

先に書いたエントリ【統合医療】吉村医院新生児死亡事故を医者が叩くワケでも、私は結論がうやむや気味になったとは書いたのですがコメント主「風流」さんは「だいぶつが有耶無耶にした」と思っているようで、ちょっと苦笑でした。

ああそうか、この人はだいぶつが有耶無耶にしてトンヅラしたと思っているのか。
私は「ついてこれていない人が結構いるんじゃないのかな」くらいの意味で書いただけなんですけどね。

もともとこの話は「自然分娩へのこだわりがどこまで許されるのか」「医療の出産への介入はどこまで認められるのか」という結論の出ない問題です。結論は有耶無耶になるのです。だいぶつが有耶無耶にしたのではなく、もともと有耶無耶な結論しか出ない問題なのです。

有耶無耶な事に有耶無耶な答えしか出ないと認めることが、それほど悪いことと私は思っていません。
むしろ、このような問題にひとつの「答え」を断定し答えを出せなかった方が負けといったやり方は欺瞞であり、弁論のテクニックではあっても真実追求のメソッドとはかなりかけ離れています。

NATROM氏のブログエントリは、結局のところ自然分娩「信仰」を抑圧するためのレトリックでした。これがハッキリとした結論であり、それは「風流」さんも認めざるを得ないところでしょう。私はそれが言えただけで十分満足です。

そのブログエントリがNATROM信者を中心に盛大な祭りとなり、吉村医院や関係者が荒らしの被害に遭い、批判先のブログエントリが削除されたと言うことが私は問題だと思っています。関係者の心に大きな傷を与えたことでしょう。

ちなみに私はこの「事件」自体には一切かかわりも、権益もないただの一存在です。もちろん医師免許は持っていません。この「ブログエントリ削除事件」自体知りませんし、その発端となった吉村医院新生児死亡事故(と呼ばれている経緯)についてはもっと知りません。

ただ、あたかも正しそうに書かれているNATROM氏のブログエントリは気持ち悪かったし、それに脊髄反射的に追随する「はてなー」の人たちも気持ち悪くて、それをなんとか拙いながらも表現したかったという気持ちがありました。

もうすでにズタズタになっている「被害者」に追い打ちをかけることを潔しとできませんし、それが医療の発展のためになっていると勝手に満悦しているNATROM氏への気持ち悪さもありました。

正しそうなことは間違っていると私は思っています。それを、私はお互いが納得づくで理解しあえるための表現を考えつけないだけです。

まあ、それを「だいぶつが有耶無耶にした」というのであれば、どうぞ!ってところですかね。