隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】自然分娩にこだわる理由

さて、皆さん自然分娩にこだわっているでしょうか?

母子ともに無事で産まれたらどちらでもいい、という人もいるでしょうし、痛いのがヤだから無痛分娩がいい、という人もいるでしょう。

でも、可能であれば自然分娩をするのがよいのです。

自然分娩をするのがよい一番の理由は、母子ともに筋肉骨格の正常な分娩活動を行うことが、産後の健康のためには良いと言うことが分かっているからです。

高くジャンプするためにはうんとしゃがまないといけません。それと同じく、子供を産むために母体は長い期間をかけて「しゃがんで」います。これは、胎児も同じです。

簡単に言うと骨盤が徐々に開いていきます。

そして、出産という「ジャンプ」を経ることにより弾みがつき、この開いた骨盤が勢いよく戻り始めます。

野口整体では出産後最低でも1ヶ月は横になっていること、とされていますが、それはこの「戻り」をよくするためです。野口晴哉によると「出産は若返り機構のようなもの」だそうで、「正しい出産・産後の過ごし方」をすることにより、子供を産むたびに若返っていく人をたくさん見てきたそうです。

日本では産後5日しか寝ていることが許されませんが、中国の奥地では1ヶ月、アフリカなどでは2ヶ月、産褥婦は横になっていないといけないそうです。

正しい産後の過ごし方をしていないから、出産のたびに女性はくたびれていくのであって、正しい過ごし方さえしていればむしろ元気になっていくわけです。

そして、そのことが分かれば子供の頭蓋・骨格形成にも自然分娩の方がよいと言う事は想像に難くないはずです。

自然でない分娩が増えた結果、昨今の発達障害児の増加などがあると考えても不自然ではないでしょう。

だから、不自然分娩(帝王切開や無痛分娩、吸引分娩、陣痛促進剤の使用など)というのは、「今この場で母子が死ななければいい」という考え方に基づけばその通りなのだと言う事になるのですけど、母子のこの後の人生、墓に入るまでの事を考えた場合、それがベストの選択かという話になってくると、かなり事情が異なってきます。

医師が出産時にする判断は、母子にとってベストという事でなされるのではなく、出産で失敗した場合(母子が死んだりした場合)、医師は裁判を起こされてしまいます。母子の今後の人生のトータルの幸福と、医師が裁判を起こされるリスクをはかりにかけた場合、「とりあえず今この場で死ななければいい」という判断がなされるのはある意味当然と言えるでしょう。

「不自然分娩を選択しない限り母子ともに生命の危機にさらされる」という状況を築きあげてしまったということが、既に失敗であったという見方もできます。こうなると、次善の策として不自然分娩を選択せざるを得ない事は当然ありえることかと思います。

しかし、それはあくまで「必要悪」としての判断であり決してベストの、無謬の判断であるはずはなく、それを胸を張って当然の選択であると言うような主張が行われるのには、ましてやそのバランス感覚を欠いた意見がやたらと協賛を得ているかのように見えている現状には、何やら違和感がしてならないのです。

また、その状況ができてしまった背景にも目を向け、その原因を探ることにより(たとえば薬剤などの化学物質の過剰な摂取など?)、原因を排除すれば「不自然分娩を選択せざるを得ない」母子を減らすことも可能となるわけです。

私も専門じゃないですから詳しくはありませんが、いろいろと複雑なんだって言う事はわかります。だから過度に単純化した議論で一事を云々すると言う議論の向きが、既に科学的じゃないなと思ってしまうわけです。