エホバの証人という宗教があります。
私も詳しくは知らないのですが(たまにうちにもいらっしゃいますが門前払いしています)、この宗教の教義に「他人の血を自分の体内に入れてはいけない」(魂が汚される)というのがあるそうです。
以前、この教義に従って、交通事故に遭った自分の息子に対する輸血治療を拒否して、結局その息子さんが亡くなったという事件があって、日本中を「カルト宗教・・・!」的な空気が包み震撼させました。
しかしながら、日本人は震撼するかもしれませんが、世界的に見ると実はこの方が当たり前の対応で、驚くにはまったくあたりません。イスラム教では豚肉を食べませんが、以前アメリカ軍がイスラムの難民に食糧投下したところそこには豚肉入りのソーセージがなにかの手違いで入っていて、皆(当然子供も含め)それを食べずに餓死を選んだと言うことです。
「命がなによりも尊い」なんていう宗教まがいの考えに毒されている日本人には理解が及ばないかもしれませんが、宗教の教義というのは本来そういう者であって、まともに宗教もしていないような人間が気楽に批判していいような次元のものではないのです。
まあ、その話は置いておくとしても、「他人の血を自分の中に入れない」という教えは、医学的科学的に見ても大変合理的な教えではないかと私は思います。
私くらいの年代より前の人だと知っている人も多いでしょうけど、昔は輸血によってC型肝炎に感染することが一般的でした。C型肝炎ウィルスを発見・除去する技術がなかったので、輸血は「大バクチ」だったのです。
最近の例で言っても非加熱製剤によるHIV感染やワクチンによる障害(乳幼児の突然死)など、「他人の血を体に入れることによって死ぬ」人が結構います。
こうして考えてみると、「種としての健全性」「人類という集団としての健全性」から見たら、あながち「他人の血を自分の体内に入れてはいけない」という教えは間違っていないと言うことが分かると思います。
逆説的に言えば、「今輸血によって自分だけ助かる」ことによってウィルス性疾患に罹患したりキャリアになったりすることにより、人類全体の生存率を下げることにつながりかねない、ということです。それなら、気前よく死ねばいいのです。
「自分一人が死ねば人類全員が助かるとして、死ぬか?」
良く昔から問われる1人語りです。
エホバの証人の教義は、それに対する一定の回答を示しているように思えます。