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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

テルマエ・ロマエ映画化の原作使用料が百万円ポッキリ

テルマエ・ロマエ映画化の原作使用料が百万円ポッキリだったそうです。

この手の話題自体は、以前から「ブラックジャックによろしく」の著者である佐藤秀峰氏の話なんかをブログとかで呼んだりしていたので、目新しくもなく、ああ未だにそんなことやってんだと言うくらいの文脈で読み流していて、ブログで取り上げようとは思いませんでした。

しかし、驚いたのははてなブックマークで話題になっていたから気付いたのですが、以下のようなツイートがなされていたことでした。

はてなでも非難轟々、かと思いきや、うまくツッコミできている人が少なかったので驚きました。

答えははっきりしていて、原作者は投資家ではないのです。クリエイターなのです。

クリエイターは何かを産み出す人です。もちろん、何かを産み出す過程として何らかの自己投資はなされるのでしょうけども、一般的には「何もないところから何かを産み出す」ことができる人の事をクリエイターと呼びます。

そして、クリエイターにはその創出物に対する対価が十分に還元されてしかるべきなのです。それは、クリエイターが人類にとってさらに良いものを創出してくれると言う動機づけになりますし、いいものを作ればそれに見合った見返りがあると皆が認識することは、新たなクリエイターを産み出す動機にもなります。

一方で、投資家と言うのは商売です。投資家には、創出の才能はまったく要求されません。要求されるのは「お金」だけです(将来にわたってそのお金を払うと言う「約束」でも良い)。

そのお金でもって、モノを安く買い、高く売るのが投資家です。

その売買の対象とされるものが、時としてクリエイターが生み出す生産物であったりするわけです。だから、なるべく安く買いたいと言うのは、当然のこととして言えるでしょう。なぜなら、全くヒットしなかったときに損をするのは投資家であり、クリエイターではないからです。

しかし、不当に安い価格でクリエイターの生産物をかすめ取るようなやり方は、長期的には賢い投資とは言い難いのではないでしょうか。みんながみんな、佐藤秀峰氏のように賢くなって弁護士を使って出版社とやり取りをするようになるとは限らず、生産物のダンピングが当然のように行われるようになってしまえば、結果として生産物の質の低下につながることになります。

伝説の投資家であるウォーレン・バフェット氏は、このような「投資」をいい投資とは思わないでしょう。良い投資は、良いクリエイターを産み出すものでもなければならないのです。
なので、今回の例は「残念な投資」(短視眼的な投資)の典型例と言えるのです。

残念な投資の責任は原作者には当然ありません。そこを履き違えている人がいると言うことが、とても情けないです。

テルマエ・ロマエは大変面白い作品であったがゆえに、その原作使用量の安さには残念さを感じずにはいられません。
これに懲りず、いい作品を産み出してくれるクリエイターが今後も尊敬され続けることを願います。