隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

英語が話せないと日本人になれない!?

割とまともな記事の多い東洋経済オンラインなので、いつも安心して読んでいたのですが、珍しくトンデモない記事が掲載されていたので、取り上げます。

英語が話せないと、「真の日本人」になれない
という思い込みで、一人娘までインターナショナルスクール(文科省の認定外なので小学校卒業の対象にならない)に無理やり入れてしまう壊れっぷりです(校区の小学校には籍があり不登校扱いになっている)。

私が指摘するまでもなく、おかしいと言う事を多方面から指摘されているようなんですが、どうも本人は意地になっているような様子で、突っ込まれれば突っ込まれるほどかたくなになってしまうような気がします。

という事で、意地悪な私はこれをネタとして取り上げてみることにしました。

私は、中高と英語の成績は芳しくなく、下から数えた方が早いような成績でした。ただ、会社(一応グローバル企業)に入って「英語」というものに対する認識が変化し「コミュニケーションツールの一つ」と理解するようになりました。そういう認識に立ったところ、急激に英語力が向上しました。

以前は仕事でアメリカ人と話をしていたのですが、その時たまたまアメリカの大学を出た新入社員がいたので打ち合わせに同席させたところ、アメリカ人から「こんな素人では話にならんから、連れてくるな」と怒られました。ちなみにその新人はTOEIC800オーバーです(私はもっと低い)。私は、TOEIC800オーバーの人よりも、アメリカ人と英語でコミュニケーションがとれていたわけです。

と言っても威張るようなことではなくて、実は、業界用語と多少の語彙があれば、仕事上のコミュニケーション程度には事欠かないのです。私は、製品に使用されている技術であるとかコンピューター、ネットワークに関する知識に通じていたので、カタコトの英語でも仕事になったというわけです。

だから「英語を話せること」が日本人ないし国際人の要件であると言う前提には、賛成しかねます。

逆のケースがあります。私は「アホなアメリカ人」とも会話したことがあります。残念なリスニング能力しかない私はしょっちゅう「Pardon?(ごめん、もういっぺんゆって?)」とやります。そこで、賢いアメリカ人だと言い回しを変えたり、難しい単語を簡単な単語に置き換えて表現するのですが、アホなアメリカ人はまったく同じことを同じスピードで(ゆっくり言いさえしない)繰り返します。

アホなアメリカ人も賢いアメリカ人も同じ「英語を話せる人」なわけですけど、私には後者の方が国際人と呼ぶにふさわしいと思えます。

つまり、「伝えたい/伝えることに意味のある情報を持っていること」「相手の伝えたいこと/情報をくみ取る意思を持っていること」「相手に伝えたいことを伝えると言う意思を持っていること」、それが私が仕事を通して知った一般に「英語力」言われているものの正体だったのです。

端的に言うと「コミュニケーションしたい/できるという確固たる意志」こそが必要だと思いましたし、今でも思っています。

で、私が思うにです。日本人として、ちゃんとした英語を身につけるには、まずちゃんとした日本語を身につけることなんです。なぜなら、日本文化は日本語と切り離せないものだからなのです。

実際、八百万の神様とか神道のしきたりとか巫女さんとか、その辺のことを英語で外人に教えようとしても取っても陳腐な説明になってしまって自分でも笑ってしまう事があります。「神様」となってるからと言って「God」などと言ってしまおうものなら、彼らの頭の中に想起されるのは当然キリストさんなわけですから、いろいろと工夫が必要です。

そして、多分残念ながら、今の小中学校はちゃんとした日本語を教える場になっていません。これは本田勝一氏著の「日本語の作文技術」という本に詳しいのですが、現在の国語教育は明治時代に英文法教育を日本語に無理やり置き換えて作られたものなのでちゃんとした日本語教育になっていません。

端的に言うと、今の教育現場には日本語をちゃんと教えられる人材も少なければ、それを是正しようと言う動きもあまりありません。逆に、国語の時間を削って英語の時間を入れようとさえしている始末です。

その点、アメリカではスピーキング・リスニング・リーディング・ライティングをまんべんなく学習するので、羨ましくはあります。とはいっても、日本でインターナショナルスクールに通わせるのはどうか、と思われます。第一、英語は直接には日本文化に結びつかないので、日本文化の理解には不向きです。元が海外からの輸入である「議会」とかの概念はそっちの方が理解しやすいかもしれませんけどね。

日本で正しい日本語を身につけられる方法として、私にすぐ思いつくのは「質の良い文章をたくさん読む」くらいしかないのですが、まあそういう努力の方が必要じゃないでしょうか?

あと、文章を書くこともとても重要ですね。多少拙くても、毎日文章を書くと言うのは日本語を身につけるうえで大変重要だと思います。日本の小中学校での国語教育では、インプットばかりでアウトプットをさせる機会が少なすぎるとも言えます。

実は、英語なんて、その気になればすぐ身につけられます。英語至上主義に対して、本田勝一氏は「アメリカでは乞食でも英語を話す」と揶揄しています。世界20億人が英語をしゃべっていると筆者自身が語っているように、その気になって英語を覚えられなかった人なんていません。英語を覚えられなかった人は「その気になっていなかった/必要性がなかった」ってことです。

コンプレックスから意固地になっている著者が、どうか罪のない1人娘さんの将来を台無しにしないことを祈っておくことにします。