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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

宗教学とか流行りのようですが

まあ私も仮にも「だいぶつ」と名乗っている以上、この件については一言言っておきたい(散々つぶやいていましたが)。

例の「宗教信じてる?」「いいえ」「じゃあお前のそのお守り切れ」「え?」「ほら宗教信じてるじゃん」

ってやつです。

私は宇宙意志を信じてますのでそれって宗教じゃんと言われたら別に反論する気もないんですけど(厳密には違うけど)、こういう押収話法でやりこめるような問答はすきくないんですよ。

基本的な思想としては禅問答なんですね。

禅問答っていうのは、「真理に近づきたい」という信条を持った者たちが集って

「あのスイカは、スイカか?」
「はい」
「なぜそう思う」
「緑色だからです」
「なればキャベツはスイカか?」
「いいえ」
「なぜ違う」
「キャベツだからです」
「ではなぜキャベツはキャベツなのだ?」

と延々とやっています。

まったく無意味に思えますし論理的でもないんですが、これが禅宗が真理に近づくための方便として編み出した禅問答です。でも、これはあくまで禅宗に入門して真理を目指していくという者どもが内輪でやっているものに過ぎません。

私としては非処女がバイトで巫女やっている神社で買ったお守りなんて素直に宗教じゃねーと思いますが。
カネ出して買ったんだからもったいなくて切りたくはねーですけど、切らないと息子殺すと脅されたら素直に切りますけどな。

で。たまにいるんですよね。こういう宗教的な方便、真理に近づくためにフレームワークを利用して、純真な人をだましてしまおうという人が。

それを盛大にやったのがオウム真理教ですね。

まあ、今回のは大学の宗教学の講義だったんで教授に悪意はないんでしょうけど、同じにおいを感じるわけですな。教授のドヤ顔が透けてみえる。

別にいいんですよ。宗教の知識をひけらかしてドヤ顔したって。でも、それは宗教じゃない。
単なる自慢話ですよ。

そして、それを擁護する人が「宗教を意識しないとグローバルで戦えない」とかおよそ宗教の目的と乖離した理由でこの教授を擁護していたのも日本の宗教観を象徴しているんではないでしょうか。

宗教は、個人が絶対的真理に近づくための方便です。

いつから、宗教はグローバルで戦うための道具になり下がってしまったんでしょうか?

いーじゃないですか。無宗教で滅びるんなら滅びれば。天皇=神を盛大にやって戦った先の戦争でも負けちゃったことですしな。
もちろん国力を集中する上でいい方法だとは思いますけど、それは政治であって宗教じゃねー。

って思います。