隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

死ぬしかない人はすでに死んでますよね

この前、「もう死ぬしかない」とか、ニートの人が書いているエントリを目にしたんですけど、まあ、仮にも一度は死にたいと思った人間からすると、もう死ぬしかない人間が何のんきに投稿なんてしてんだよって思うわけです。

私は本当に死にたいと思ってた頃はのんきに投稿なんてしてる余力なんてなくて本当に苦しんでいましたが、いまどきの「死ぬしかない」はずいぶん緩くなったものです。

こういうことを書くと、「人それぞれかも知んないじゃん」とか思う人もいるだろうけど、まあ、それはその通りなんだと思うけど、少なくとも本当に「死ぬしかない」と思った人間はすでに死んでるよ。

俺が苦しんでる時にアイドルの女の子が自殺した。

なんて思うか、普通なら若いみそらでかわいそうって思うんだろうけど、そういう気持ちが皆無ではなかったけど、ちょっとうらやましい気がした。

どうやったら楽に死ねるかずっと考えてた。

まだ悠長に「投稿」したり「迷」ったりしてる「死ぬしかない」という表現は間違っている。

本当に死ぬしかない人はいま死に方考えてますよ。難しいですよ。昔「完全自殺マニュアル」って本があって廃盤になったくらいだ。

今この瞬間もそういうこと考えている人はいる。

だいたい、すべての人間はいつかは死ぬわけで、だれしもが「死ぬしかない」ってことになるんです。

じゃあこの人は何を言いたいか。私なりに推測すると「死ぬしかないと思いたくなるくらいに苦しい、誰か助けてくれ、でも助けられる人などいないだろう」ってことなんだと思うんですよね。

そう表現してくれたら私も同感しますよ。全く同じ苦しみを経験しましたからね。

ま、でも同感はできるけど、助けることは無理ですね。あくまでもその人の問題ですから。そもそもからして、ネットにそんなことを投稿して助けを得ようというのが、まあ私からしてみたら、2週も3週も周回遅れです。

死ぬってのはそんな生半可なもんじゃないんですよ。

絶望の末に絶望、そのまた先に絶望。それを何百回も繰り返してようやく死ねるんだと私は思っている。

私が今死ねてないのは絶望したりないんですよ。

だから、この人も絶望の量が私より圧倒的に少なそうだし、まあ、死ねない。苦しむけどね。

どーせ死ねないなら、絶望してることなんざ忘れちまえばいーと思うんですよ。

絶望するから苦しいんですよ。なら絶望しなきゃいーじゃねーか。

簡単ではないですけど、救われる道はそこにしかないんですよ。