論理の罠にはまってしまった人は、論理を超える真実を誤読することがままあります。
その典型例とも言える、以下の記事について取り上げたいと思います。
難産という人間の宿命 -自然出産に隠れたマゾヒズムと優生思想-
locust0138は憤ります。
吉村医師の主張は「医療の助けを借りないと無事に生まれてくることもできないような弱い人間は生きる価値がないから死んでしまえ。」ということに他ならない。
しかしこれは誤読だと思います。
私も、「死ぬべきものは死ぬべき」という表現を使ったことがあります。これは、なにも「私が死ぬべきと思ったものは死ぬべき」と言っているのではありません。
しいて言えば「神」が死ぬと決めたものは、どう抗おうと死ぬのであり、逆に言うと、「神」が生きると決めたものは、どうやろうと生きるのです。
神を信じない人は「宇宙意志」「天命」「仏」好きなように読み変えてください。
生き死にを決めるのは人間の範疇を超えています。それを医療がどうにかできると考えている方が、傲慢な思想ではないでしょうか。
吉村医師の言いたいことは、そういうことではないでしょうか。
この件については、ナンセンスな努力だけどしたい人はすればいいと言っているNATROMの方がまだマシと言えます。もっとも、NATROMはそんな信仰めいたことをしたのだったら途中から現代医療に助けを求めるなと言っており、やはり傲慢だと言えるでしょう。
現代医療に助けを求めるのも、患者の意思です。それをNATROMがとやかく言う権利はありません。
最初から代替医療めいたことをするなというのも医者の論理であり、患者には患者の論理があるでしょう。
山登りで遭難する人が出るたびに「何で危険な山になぞ登るのだろう」「捜索費が税金で賄われているとしたら迷惑な話だ」という風に平然と揶揄する輩と何も変わりません。