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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

姓名判断に著作権はあるか?

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世の中、権利意識に凝り固まった人がいて、何でも自分に権利があると主張してしまいます。
(そういえば、どこかに「太陽の所有権」を主張した人がいたとか・・・)

たとえば、このブログでもそうなのですが、文章などの表現に権利が発生するそうです。
(こんなしょうもない駄文にすら・・・)

古くはパブリックドメイン、現在ではクリエイティブコモンズの文化に親しんでいる我々としては、なんとも違和感があるのですが、残念ながら著作権というものが発生することになっています。

さて、姓名判断に関して、誰かに権利があるでしょうか?これは意外と深い問題です。

たとえば医療・自然科学などの分野では、他人の論文を引用せずに新しい論文を書くことなど不可能です。論文に書かれた全ての文章を著作権保護の対象とするなら、日本で最初に「あ」と書いた人が「あ」の著作権を保有し、だれも「あ」と書けなくなってしまいます。

(幽遊白書にそんな能力があったな・・・)

それでは新しい論文は生まれなくなり、発展が止まってしまいます。これは人類としては損失なので、そんなアホなことはやってられない、ということで、著作権法には「引用」は自由にしてよいと定められています。

出典の明示などはせねばなりませんが、守りさえすれば著作権者の許諾は不要で、当然利用料も不要です。

また、著作権の面白いところは「ノウハウ」には著作権が発生しないということです。

もちろん、ノウハウを記した著書を書けばそれは著作権を持ちます。
しかしノウハウ自体は法律で保護されないのです。

(特許・実用新案などノウハウを保護する法律もあるが、保護期間が著作権よりずっと短い)

この、「ノウハウを表現した文章は著作権を持つが、ノウハウ自体に著作権は無い」ということを理解できない人がたまにいて、苦労させられます。

で、結論なのですけど、姓名判断とはイコールノウハウですから、著作権は発生しません。

それについて書いた本自体には著作権は発生するでしょうが、ノウハウについては著作権が発生しませんし、個々の文章表現も「引用」は自由に行ってかまいません。

なので、「ノウハウ」は秘密にする姓名判断家が多いのです。(熊崎式本家「五聖閣」ですらノウハウは秘匿です)。

とはいえ、姓名判断はその性質上、ある程度ノウハウを明らかにしないと信憑性がありません。

1929年に熊崎健翁が確立したといわれる姓名判断ですが、今となってはそのノウハウも広まってきており、もはや著作権の要件である「創作性」という意味では弱くなってきています。

また、キラキラネームなどの氾濫により、法則にも変化が起きてきているのではないでしょうか。

姓名判断自体のニーズが減ってきているようにも思います。

出し惜しみしている時代じゃないような気がします。

あじあ姓名診断は、そのうちソースも公開して、皆で改善して行けるようにしたいと思っています。