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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

「要件定義書」はプログラムの「原作」か?

昔々、キャンディキャンディという少女マンガがありました。このマンガは、原作を考える原作者と、マンガを描く漫画家の二人で書かれていたそうです。

あるとき、この漫画家(絵を書く担当の人)が、原作者に無断で「キャンディキャンディ」のキャラクター入りTシャツを販売してしまいました。原作者はそのことに腹を立て、漫画家の人を訴えるという訴訟沙汰に発展してしまったのです。

もつれにもつれた裁判は、何度もの示談勧告を蹴散らして最終審(最高裁)まで行き着き、結局「原作者に無断で絵を使った漫画家が悪い」という判例が出来てしまいました。

争点は結局「原作が出来てからマンガを描いたのか、同時進行でやったのか」というところで、このマンガの場合「原作が出来てからマンガができた」ので、「原作なくしてマンガもなかった」ということになり、つまり「マンガは原作の2次著作物である」となりました。2次著作物はベースとなった著作物の著作権者の許諾を得ずして頒布、公衆送信などの著作権を行使することが出来ないということです。

これは本来仲良くあるべき原作者と漫画家が争ってしまった不幸な例です。

また、この裁判は判例(最高裁の判決)を作ってしまったという意味で、後の著作者にとっても不幸な裁判でした。

たとえば、「ドラゴンボール」にインスパイアされてマンガを書いた人がいたとします。「かめはめ波」のような「気功波」をマンガに登場させたとして、鳥山明はその人を訴えるでしょうか?

程度問題でしょうが、鳥山氏はそんなことで訴えたりはしますまい。

キャンディキャンディ事件は、原作者と漫画家という本来仲良くしているはずの二人が争ったので、そのような判例となりましたが、だからといってなんでも「それを最初に考えたのは俺だ!」が罷り通るのであれば、まさにコピーライトトロール天国です。

正直、著作権というのは少しおかしい法律です。取りようによっては、著作者はムチャクチャ有利です。

しかも、その肝心要の「著作権」は「登録制ではなく自然発生する」って言うんですから、正気の沙汰ではありません。「オレが100年前にそれを考えたんだ!」とか言い出す人も現れかねません。

知的財産権とは、あくまで人類の進化発展のための方便にすぎません。

欲にかられず、うまく利用して行けたらよいものだと思います。

で、当然ながら「要件定義書」はプログラムの「原作」ではありません。

もちろん、要件定義書自体には著作権は発生しますが、だからといってそれに派生したプログラムの著作権が要件定義書の著作者に帰属するなんてことはありえません。

それで言うなら、仕様書を書いた人は商品の全権利を保有するというのと同じことになってしまいます。

二次著作物になるのか共同著作物になるのか、それは良くわかりませんが、少なくとも「要件定義書」はマンガの原作のようなものではありません。