隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】パニック障害、全般性不安障害、うつ病、2型双極性障害

私はずいぶん以前に、心療内科で「パニック障害」という診断を下されました。
それで「ソラナックス」というマイナートランキライザー(いわゆる安定剤)を処方され、飲んでいました。
ソラナックスの効き目はすこぶる切れ味が良く、パニックが起きることはなくなりました。

しかし、しばらくするとなんとなく嫌な不安感に支配されることが多くなってきました。そして、それと前後して妙なハイテンション、今なら知っている言葉でいうと「不愉快な高揚感」が増えてきました。この時期の私は、ネット上でもリアルでもつまらないケンカをとてもよくしていました(今以上にです)。しかし、この「不愉快な高揚感」については病気の症状とは考えず、医師には告げません。医師に告げるのは漠然とした不安感についてのみです。

心療内科の病室に入ると、不安な気持ちが強くなったと言うことも関係していると思います。そして「ドグマチール」という軽い抗うつ剤を処方されました。

しかしドグマチールの効き目がいまいちであったこと、また医師も私の疾病についてよくわかっていなさそうだったことも相まって、私の医師に対する信頼感は著しく低下し、違う心療内科を受診することになりました。いわゆる「ドクターショッピング」です。

違う心療内科では、医師は自信満々に薬を処方してくれました。私は「この医師に従っていけば大丈夫かも」という気持ちを持ち、通っていました。しかし、処方されている薬はあまりに過多。10錠とかそんなレベルではありません。カルバマゼピンという双極性障害に用いられる薬を処方されていた事にもショックを受け(今ではこの処方はあながち間違いではなかったのかもしれないと思っています・・・量以外は)、やはりまたドクターショッピング。

新しい心療内科の先生は割と良心的で、薬を抗うつ剤の「デプロメール」と安定剤の「セルシン」のみに切り替えてくれました。このときの診断名は「うつ病」になっていました。私は、自身の感覚と「うつ病」という病名の食い違いに違和感を感じながらも、何らかの診断をつけてもらえない限り薬ももらえないので、それを受け入れていました。

その後、前の妻とは別れました。

そしてしばらくしたころ、長年デプロメールを飲んでいたため薬に耐性が生じ、またやはり妙なハイテンションに支配されることも増えてきたことがあって、自ら薬をやめようと思いました。ただ薬をやめるのは不安なので、その時に栄養療法を頼りにしました。

その間に、生命保険の加入拒否騒動とかがあったことも薬をやめたかったひとつの要因ですし、男性機能の著しい低下も大きな要因の一つです。異常なまでの金遣いの荒さとかも、大きな要因です。

実際、サプリや漢方と言ったものは、こういう状況で薬をやめるためには大変助けになるものです。こういう場合、「効果がある」ことよりむしろ「害がない」事の方が重要と言うことがあります。なので、脊髄反射的なホメオパシー否定論に、私は脊髄反射的に反論してしまいます。

で、結局血のにじむような努力の末断薬に成功し、その後3~4年ほどは断薬を継続していました。特に問題行動等も無かったし、体調もさほど悪くはありませんでした。

精神薬を自力で断薬できる人は100人に1人もいないそうで(知り合いの整体師によると却って薬が増えて病院行き⇒廃人化かもしくは墓の中に行くそうです)、自分自身稀有な例かなと思います。

しかし、精神的な症状がない代わり、なのかどうかは知りませんが、体の調子が悪くなってきました。特に、肩の痛み、心臓のバクバク、喉のつまりなどがひどくなっていきました。喉のつまりが絶望的なまでにひどくなったので気が狂いそうになり、結局心療内科に行って薬をもらったのですが、症状はかえって悪化してしまいました。

薬によって揺さぶられた感情・脳内物質、そして交互に来る精神的な不調、身体的な不調、言葉では表せないような違和感。首から下を切ってほしいと、心から望み、病院では「眠らせるか、それが出来なければ殺してくれ」とまで内科の医師に告げましたが、無慈悲な内科医はそのいずれもさせてくれませんでした。

「なるべくかかりたくない近代医療にかかるしかないと思うほどつらい」。妻の救命救急に行ったときの私の感想に対して「そんなに嫌いなら近代医療じゃなくて得意の代替医療に頼ればよかろう」と言う意見がありましたが、こういうことを平気で言える人と言うのは、本当の辛さを経験したことがないのでしょう。

結局一命は取り留め、精神科に入院してかなり回復し、その後自宅でのリハビリの末、復職も達成しました。

最初に私を診た精神科の先生によると「最短でも半年入院、社会復帰は1年後」くらいに見えたそうで、実際、自分自身でも社会復帰などする気はさらさらなかったのですが、3週間の入院と4ヶ月の休職で社会復帰してしまいました。うまくすれば障害年金とかもらえたかもしれないのに、残念です(笑)。

断薬といい、私って意外と努力家なんです。というか、努力し過ぎ、実直すぎるのが欠点で、適度に手を抜く、自分自身に責任を持たない、他人の言説に惑わされない、そういう努力が必要なことだと3週間の入院中に気付いたのでした。生きることに一所懸命にならない、生きる死ぬは天が決めること、自分は自分の関わりえる範囲でのみ過ごす。

入院中~退院後しばらくはデプロメールを飲んでいたんですが、やはり妙なハイテンションが続くのでセカンドオピニオンを求め、2型双極性障害の可能性を指摘されました。単純に言うと躁うつ病の軽いものです。

実際には2型双極性障害という診断には私も現在の主治医も否定的で、多分デプロメールの副作用による躁転じゃないのかなと思っています。主治医は「人を診る」タイプの先生で特に病名とかには頓着されません。

どんどん聞こえの悪い病名になっていってるんですが、全然絶望はしていません。どうせ、あのとき墓の中に入っていたと思えば何を言われても関係のないことです。墓に罵声を浴びせても、死人には届きません。

そう思えるようになったことが、私の病気の回復に関わっていることは間違いないでしょう。

現在は「双極性障害」の診断のもと「リチウム」をメインに飲みながら、日々を過ごしています。