隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】医療行為の商業化がもたらすもの

本来、医療行為のはしりは無償であったと考えられます。

たとえばあなたの子供がどこかをぶつけたときにそこをなでたりさすったりします。これを「手当て」と言い、実際に効果もあるものなのですが、こういうのが人類最初の医療行為じゃないだろうかと私は想像します。
その後より効果的な「手当て」をいろいろ考えて人類は進歩してきて、その最先端に「標準医療」なるものが存在すると、多くの人は考えているようです。

しかし、進歩の過程で医療が商業化されてきたということは、考えておいた方が良い問題です。
最初は純粋に「相手の怪我や病気を良くする」と言う思いで行われていた行為に、いつの間にか「お金を得る」という側面が付加されてきたということになります。

そこで、医療を純粋に「商売」と考えた場合、もっとも儲けるためにはどうするのがよいか、考えてみましょう。
東京ディズニーリゾートは、日本ではご存じ無い方を探すのは難しいテーマパークです。このテーマパークが、なぜ国内随一の利益を上げているかと言う話を、私は以前聞いたことがあります。それは「リピート率が大変高い」と言うものでした。

領域が「テーマパーク」と言う人を楽しませるものから、「医療」という人の病気を治す、究極的には健康を取り戻す手伝いをする領域に変わっても、「商売」という視点から考えた場合、同じことが言えます。つまり、「リピーターを増やす」ことが医療にとっても、やはり最ももうかるやり方であるのです。もうひとつ「人口を増やす」と言う方法もあるのですが、人口が同じ前提ならリピーターを増やすことが第一目標となります。

そしてここまで書けば、リピーターを増やすと言うことが医療の本来目的「病院に行かなくてもよくする」と、完璧に相反していることに気づく人も少なくないでしょう。病状をコントロールし、完治させず、病院に通い続けてもらうのが、病院にとっては最も儲かるのです(これは、実際にそういう行為が行われているという意味ではなく、「儲けるため」と言う前提ではそうなると言う意味でとらえてください)。

そこで「標準医療クラスタ」(標準医療を擁護する人たち、と言う意味で考えてください)と言うものの存在意義を考えた場合、それは「標準医療」(病院)の利益を代替医療(カイロプラクティックやホメオパシー・霊感療法とかその他いろいろ)に流失させないための防波堤、と言う意味になると言うことになります。

要は、医療「業界」の派閥争い、利権争いなわけです。

もっとも、「標準医療クラスタ」の人たちが、標準医療側から利益を得ているとは限りません。私はNHK受信料不払いの記事を10年以上前に書きましたが、NHKから利益をもらっているわけでもないのに、NHKを擁護する不思議な人たちがいると言うことを、何度か見てきています。

標準医療クラスタにはそういう人も含まれています。いやむしろ、そういう人たちの方が活発に発言していると言えるでしょう。標準医療で利益を得ている人自身からは、そういう発言はあまりありません。むしろ、標準医療で利益を得ている人たちは人心をコントロールすることによって、そういう人々を作りだしていると言えるでしょう。

まあ、国立大学の医学部や薬学部の人たちだったら国からある程度の洗脳教育があるのは当然ですので、全く不思議なことではありませんし、全くダメな事だとも思いません。

とにかく、一番大事なのは患者自身が健康を取り戻すことです。そのためには、標準医療クラスタも代替医療クラスタも役不足であると私は思っています。
じゃあ誰が主役なのかと言うと、それはこの記事を読んでいるあなた自身です。標準医療も代替医療も、どちらにも偏ることなく「病気を治療する」「健康を取り戻す」ためのツールと思ってください。

医師に治療を受けるのもよいでしょう。でも、治療を受けるからにはその医師を心の底から信用してください。心の底から信用できない医師の治療は受けても意味がありませんからやめてください。
医師じゃなくて代替治療家でもなんでも構いません。心の底から信じてください。信じられないならやめてください。

私はその結果、誰も心の底から信じられない(自分の命を完全に預けられない)と考えた結果、自分自身を信じることにしました。
もちろん、医師や治療家の知見は大変参考になります。しかし「私の心身」にオーダーメイドされた治療は私自身にしかできません。
もしかしたらもっとも難しい道なのかもしれませんが、そう信じることが私にとっての「統合医療」だと思っています。

私自身にとっては、これが「医療の商業化」がもたらしたものなのかもしれません。